留学から日本帰国後の苦労

留学から日本帰国後の苦労

私はニューヨークフィルムアカデミー卒業後、アメリカでOPTを利用してこれまで紹介してきたような様々な仕事をしたり、撮影アシスタントのボランティアをしたり、卒業制作のバージョンアップ作業をしたり、デモリールの更新をしたりしましたが、そのOPTの期間も終わり、日本に帰国しました。

▶︎︎OPTについてはこちらの投稿をご覧ください。

帰国準備もそれなりに手間がかかりましたが、帰国してから日本での生活を改めて軌道に乗せるのに苦労しました。以下お話ししようと思います。

▶︎帰国準備についてはこちらの投稿をご覧ください。

日本で生活を再開する苦労

まず日本で生活を再開するのに時間がかかりました。

アパート(住居)探し

渡米前に日本で住んでいたアパートは引き払って留学しましたので、日本帰国後はしばらく妹夫婦宅に滞在させてもらい、すぐにアパート(住居)探しをしました。

フリーランスであれ就職であれまず仕事を見つけて収入を確保し、仕事をする場所が決まってから住居を探すという考え方もありましたが、アパート探しを優先しました。アメリカから船便で送ったメインの荷物とは別に航空便で送った自分のMacが届き使い始めていましたが、妹夫婦宅のインターネットに繋がせてもらって様々な作業をできるようにしてしまうのもはばかられるので、まずは住居を決めるのが先だろうと思いました。

渡米前に日本で住んでいた場所は、かなりリサーチをして選んだ場所で生活圏として気に入っており、アメリカ滞在で5年たっているとはいえ、帰国後に住むのは土地勘があるエリアにしたいと考え、この渡米前に住んでいたエリアを中心にあちこち探しました。

後述のように様々なコストを下げる必要があり、しかしトランクルームに預けてある家具や荷物を引き上げることに加え、アメリカから送った荷物も届くため、それなりの広さが必要になります。便利なエリアで安くて広い物件はなかなかありませんが、運良く程なく、渡米前と同じ最寄り駅の、駅をはさんで反対側の静かなエリアに比較的安いアパートを見つけることができました。フリーランスでもOKな物件でした。

殿様商売を感じさせるインターネット会社

しかし仕事を探すにもネット環境が必要ですが、インターネットを引くのに苦労し、時間もかかりました。

一定の条件でキャッシュバックが受けられるインターネット回線販売代理店があることを知り、最初、これを利用しようとしました。ISP(インターネットサービスプロバイダー)からのコミッションの一部をユーザーに還元することで集客に結びつけるビジネスモデルのようです。が、対応がいい加減だったためキャンセルし、改めて普通にISPをリサーチして比較検討し、申し込みのため電話をしました。余計なまわり道をしてしまいました。

ところが今度は、ISPへの電話がなかなかつながりませんでした。何度か途中であきらめ、ある時まとまった時間を確保して何十分でも待つつもりで電話し、案の定異常に時間がかかった後、ようやく繋がりました。

しかし、インターネット開設工事の予約にあたって工事のタイムスケジュールはガッチリと決められ、しかも数週間後まで予約が埋まっており、早めの日取りで夕方などにやってもらえないか交渉しましたが全く交渉不可でした。

おそらく実際の作業は提携先の回線業者で、作業内容や条件が契約で決められているのだと思いますが、電話が繋がるまで時間がかかりすぎることも含め、どのみち契約するだろうと客の足元を見て商売する側の都合を優先しているということもでき、日本もアメリカ並みにサービス業の融通が効かなくなったと感じました。

電話オペレーターの人件費を削減し、回線工事の作業員が残業をしないようにしているのは正しいやり方かもしれませんが、こちらはインターネットがないと、メール連絡もフリーランスとしての作業も仕事の応募もできないため、ネットが開通するまでは契約済みのアパートに引っ越すことができず、その間妹夫婦宅に滞在させてもらってインターネットも使わせてもらい、実際に引っ越しができたのはアパートを契約してISPに申し込みができてからさらに数週間後でした。

蓄えが底をつきかけてきており、もろもろ厳しくなってきていた

もともと長期のアメリカ留学・滞在であったことに加え、滞在が当初の計画より延びたことや、あまり節約できなかったこと、卒業制作で予定外の出費があったこと、OPTではさほど稼いでいないことなどで蓄えが少なくなっていましたが、当然、帰国、というよりアメリカから日本への引っ越し費用、日本のアパートの敷金や家賃などがかかったほか、渡米時から利用しているトランクルームの月額費用もかかり続けています。すぐにはフルタイムの仕事は見つからず、上記のように、インターネットを引くにも苦労し、フリーランスもままならない状態で、厳しくなってきました。

▶︎留学にかかった費用についてはこちらの投稿をご覧ください。

渡米の時に洗濯機や掃除機は妹に譲り、冷蔵庫は処分し、布団も処分し、逆にアメリカから帰国する時にはアメリカで購入したものも処分して帰国したため改めて入手する必要がありました。

▶︎渡米前のアパート整理の苦労についてはこちらの投稿をご覧ください。

▶︎日本帰国準備についてはこちらの投稿をご覧ください。

なるべく節約するため、家電はリサイクルショップを利用し、許容できる範囲で最安のものを購入しました。

日本帰国後に仕事を安定化する苦労

日本帰国後に仕事を安定化するのにも苦労しました。

20代の経験が活きた、つなぎの日雇いの仕事

フリーランスにせよフルタイムにせよ仕事を探す間、とりあえず何らかの収入が必要ですが、ここで、20代半ばでフリーランス兼フリーターの期間を経験したことが役に立ちました。当時フリーランスの仕事があまり安定せず、個人で制作していた作品をコンペに応募するにも費用がかかるため、日雇いで工事現場のガラ出し、引っ越しアシスタント、テレビ番組の電飾など様々な仕事をしました。

▶︎20代半ばで会社をやめ、フリーランス兼フリーターとして過ごした期間を含む、留学前の経歴はこちらの投稿をご覧ください。

今回も日雇いの仕事を紹介する会社に登録し、様々な仕事をしました。最初は建築現場などの仕事を紹介しているところに登録し、建築現場の職人さんや植木屋さんの手元をしました。建築現場の職人さんの手元は、資材を運んだりゴミをまとめたりする仕事です。植木屋さんの手元は主に剪定した枝を集めて掃除する仕事です。

しかし建築現場の仕事は、プロの職人ではない自分にとって危険を感じるような高所作業もあり、そこはやめ、別の紹介派遣会社に登録しました。そこは事務所移転や引っ越しなどがメインでした。

なかなか厳しい日雇いの仕事

日雇いの仕事を始めてすぐ分かるのは、というより仕事を始めるまでもなく計算すればわかるのですが、どの程度の生活費で暮らしているかによっても変わってきますが、時給1000円の日雇いの仕事で暮らすのは困難ということです。

たいていは時給1000円ですが、950円という仕事もありました(2016年当時)。実働8時間のものもあれば、7時間のものもあります。もっと短いものもあります。時給1000円で実働8時間なら日給8000円ですが、たいていの就労先は交通費が支給されないため、かかる交通費を除くと手取りは概ね7000円前後にしかなりません。基本的には毎回就労先が異なるため定期券を買って交通費を節約することができず、稼ぐそばから毎日の交通費で財布からお金が消えていく印象となります。

週休2日取ろうとすればフルに働いて7000×20〜22日で、月給140,000円~154,000円にしかなりません。時給950円や短時間の仕事の場合はもっと少なくなります。

しかもこれはコンスタントに仕事に就けた場合です。仕事にエントリーしても必ずしもその仕事に就けるわけではなく、他の人に決まった場合などには、お見送りになりましたとメールが来ます。それどころか紹介できる仕事がない場合、何の連絡もないことがあります。逆に紹介派遣会社の事務所から現場を紹介する電話がかかってくる場合がありますが、たいてい、きつくて人気のない現場です。

時給や実働時間、かかる交通費を計算し、最も手取りの多い仕事を探し出し、エントリーするようにしていました。

しかし時間をかけて少しでも手取りの多い仕事を探し出してエントリーしても、その仕事に就けず、また他の仕事を探し、エントリーし、ということを繰り返す場合もあります。その時間が無駄になります。時間を無駄にしたあげく結局仕事に就けない場合もあります。

さらに、多くの場合この8000円なりの金額を全額すぐに受け取れるわけではなく、翌月払いのものも多く、早めに受け取れるしくみがあるところも手数料がかかります。しかも、この手の仕事は、就労形態が業務請け負いだったりそれぞれの会社への紹介だったり様々で、この早めに受け取るための申込みはそれぞれごとに行う必要があり、別々に手数料がかかります。

家賃や生活費をかなり抑えた生活をしている人でなければなかなか厳しいのではないかと思います。週休1日にすれば多少収入は増えますが、休みが1日だけだとその日は多少の休息をとって掃除洗濯買い物などをしてすぐまた翌日から仕事をしなければならず、力仕事が多い日雇いの仕事だと体力的にはハードで、また、売り込みや打ち合わせなどの本業に関することや、面接を受けるといったことも慌ただしくなってしまいます。

自分の本業とは異なる力仕事で、それでも蓄えができていくならいいのですが、収支トントンでさえ厳しいです。もっと収入の多い仕事を探し、直雇(じきやとい)の引っ越しの仕事をしたり、その引っ越しの仕事で一緒だった人から聞いた日給1万円の紹介派遣会社を見つけ、そちらにシフトしていきました。

その後業務委託の仕事を見つけてしばらく携わったり、フリーランスの仕事をしたり、日雇いの仕事を入れたりしつつ、一方でフルタイムの仕事探しを続けました。

フルタイムの仕事探しの苦労

一方、フルタイムの仕事探しも困難でした。

転職情報サイトに登録して履歴や職務経歴を記入しますが、私は様々な会社、仕事を経験しているため、この記入に時間がかかります。それを複数のサイトに登録していくと結構な時間がかかります。

物事がデジタルになりウエブ上で登録・応募できるようになったのは便利だと思いますが、デジタルならではの面倒くささもあります。

例えば選考上必要ないと思われる情報まで応募フォームに記入するようになっていることがあります。勤務先名や仕事内容に関連して勤務開始日と終了(退社)日、また、通った学校名に関連して通学期間も年月日まで書く必要があったりします。「年月」はともかく「日」までは選考に必要ないと思うのですが、それらを記入しないと登録フォームのページが次に進めず、特に最初に登録する時には色々確認が必要となり時間がかかります。

おそらく、入力フォーム作成中、フォームの部品(項目)を選択した時に、年月日入力の部品にはデフォルトで年と月だけでなく日も組み込まれていて、それをそのまま使っているのではないかと想像します。

確認・記入に時間がかかる場合注意が必要で、一定時間以内に全て入力しないとそれまでの入力が無効になってしまうものもあり、その場合、最初から入力し直す必要があります。

他にも、選択肢から選ぶようになっている項目で自分の状況がその選択肢の中になかったり、機種依存文字を使うとエラーになるものの、どの部分に問題があるかは表示されず、他の方法で調べる必要があったり、登録フォーム自体に不具合があり、その転職情報サイトの運営会社に連絡をして修正をしてもらったこともあります。

また、通常より手間がかかる応募先もあります。

予め記載してある履歴と職務経歴書を添付して応募しているのに、改めて履歴書と職務経歴書をメール添付、場合によっては郵送するように連絡してくる会社もあります。そこから応募の本気度を見ているのかもしれませんが、前時代的な会社の体質も透けて見えます。まれに、今どきデモリールのDVDを送る必要のある会社もありました。

しかし逆の立場で、不採用の通知を郵送で送ってくる会社は丁寧だと感じますので人のものの感じ方はそんなものかもしれません。一方募集要項に、書類選考で残った人にだけ連絡すると書いてある場合もありますが、そうでなくても全く何の音さたもない会社や、連絡すると言っていて連絡してこない会社もありました。

年齢の高い者を採用しない日本の企業

私は46歳で渡米し、アメリカに5年滞在しましたので、帰国時には51歳になっていました。おそらくこの年齢はかなりネックになっていたと思います。

スキルやセンスが古くなってきているかもしれないことを差し引いても十分な経験とスキルがあると思うのですが、やはり、多くの会社は20〜30代を中心にせいぜい40代くらいを採用しようとします。

募集に「未経験者歓迎」となっている場合は、「未経験者でもOK」ではなく「経験よりも熱意があって社風に合う若い人を歓迎」という意味である場合がほとんどではないかと思います。

そんな感じで色々苦労しましたが、その後、映像ディレクターとしてのフルタイムの仕事に就くことができました。

▶︎留学から帰国後 50歳以上で再就職をする場合に意識すべきことについてはこちらの投稿をご覧ください。

日本への違和感

留学や長期間の海外生活を経て帰国すると、自分の国に違和感を感じることは比較的よくあるようです。逆カルチャーショックというようです。英語にもリバースカルチャーショック(Reverse Culture Shock)という表現があります。

私も様々な面で日本への違和感を強く感じました。東京での生活で感じたものです。

すがすがしい日の割合が少ない日本の気候

日本には四季があると言われますが、体感的には異なります。

「生きているだけで汗だく」な蒸し暑い期間(夏)が続いたあとは一雨ごとに気温が下がっていってしばらく寒い期間(冬)が続き、ようやく寒さが和らぐと間髪入れずに花粉症の季節になり、その後うっとおしい雨が続いたあとまた蒸し暑くなります。基本的には夏と冬の印象が強く、その間に短い移行期間がある印象です。

特にカリフォルニアの気候と比べると、日本はすがすがしい日の割合が少ないと感じます。

▶︎日本(東京)とカリフォルニアの気候の違いについてはこちらの投稿をご覧ください。

駅や商業施設の案内放送が過剰

日本、少なくとも東京周辺の駅や商業施設の案内放送が過剰だと感じます。

複数の線が交差や分岐をする乗り換え駅の改札近くは、電車の到着や発車を知らせるアナウンス、自動改札に関するアナウンス、乗り換え案内のアナウンス、チャージの手順を案内する自販機の音声などが、あっちこっちから同時に聞こえることもあります。

商業施設内も案内放送が過剰な場合があります。例えばエスカレーターのアナウンスで、「エスカレーターをご利用の際は手すりにつかまり、黄色い線の内側にお乗りください」「乗り降りの際にはご注意ください」「ステップの中央にお乗りください」といった案内が繰り返し流れます。

看板や広告が多い

都市によって違うと思いますが、東京は看板や広告が多いです。

例えば新宿の街の看板などはその最たるものです。ニューヨークのタイムズスクエアのLEDビジョンもにぎやかな印象ですが、日本の看板類の方が雑然として感じるのは、文字に漢字・カタカナ・ひらがな・アルファベットが混在していることも影響していると思います。

駅のホームや構内には多数のデジタルサイネージが設置されています。電車内には隙間を埋めるかのようにあちこちに広告がペタペタ貼ってあります。ただし中吊り広告はスマホの普及やリモートワークの影響で減少方向にあるようです。

優しくない日本人

日本人は正直で親切というイメージがどこから出たのか不明なのですが、実際にはかなり自己中心的に見えることがあります。

たとえば、そこそこ混んでいるバスがバス停に停まり、新しいお客さんが乗ろうとしている時、バスの中の人が後ろへ詰めて空きを作らなければ乗れない状況でも、すでにバスに乗って立っている人の多くが、自分だけは今の位置に留まろうとして詰めようとしない様子をしばしば見ます。

その時はバス停にいた人達は結果的に乗り込めたものの、バス内の後ろ側に比較的空きがあっても、人の待っているバス停に差し掛かったとき、運転手が「満員ですので次のバスを使ってください」と車外に話し、バス停を通過することもあります。

村社会型ヒエラルキーと同調圧力、上下関係をつけようとする国民性

村社会気質が強く残る日本では、組織やグループでの在席期間や年齢によってヒエラルキーを作り、上下関係をつけようとするメンタリティを感じます。若い人であっても同様です。

日本語に「先輩」「後輩」という英語にはない表現がある点から見ても、日本人は上下関係を重要視している事がわかります。多くの人は学校のクラブ活動ですでに「先輩」「後輩」という上下関係のなかで生活してきており、「先輩」「後輩」という関係に何の違和感もない人は多いかもしれません。

しかし、年齢にかかわらず、所属する組織やグループに長くいる人で、先輩風、ベテラン風をふかせようとする人が一定の割合でいます。比較的よく見ると言ってもいいかもしれません。日本語は上下関係を表現しやすいようにできていますが、言葉使いが横柄になり、後輩、新人の不手際に注意するのはいいとしても、文句をいい始め、逆に自分の失敗には気づかないか笑ってごまかします。

▶︎言語に見る国民性、英語には先輩・後輩にあたることばがないことについてはこちらの投稿をご覧ください。

また、最近でも重要視されるのか、徐々になくなってきているのかわかりませんが、仕事において、上座(かみざ)、下座(しもざ)という概念がビジネスマナーとみなされるのも、「上下関係をつけたがる日本人」をよく表しています。

上座、下座の概念は、コミュニティ内だけでなくサービスを提供する側と提供される側の間でも適用されますが、お店や会社とお客の関係性の中でも、上下関係をつけようとするメンタリティが働いていると感じます。

クリエイティブ系の仕事ではカジュアルな服装が一般的となって久しいですが、スーツは今も仕事用のかしこまった服として定着しています。スーツはおそらく本来涼しい場所の文化で、高温多湿な日本の夏の環境にはなじまないと思いますが、組織や枠組みの一員として振る舞う集団主義と、お客にサービスを提供する側がかしこまった格好をすることを当然とする日本人の気質に合っていたから定着しているのではないかと思います。

また、日本はお客の立場になるとモンスター化する人が一定数いる印象です。飲食店やスーパーなどで、たかだか数百円の買い物であっても何か不満があると不機嫌で高慢な態度を取る人をしばしば見かけます。

日本ではヒエラルキーを持ったコミュニティで同調圧力があり、そのヒエラルキーと圧迫感の中で自分がどう思うかよりも周りがどう思うかを意識し、周囲の人、学校、会社、世間といった自分を取り巻くものに合わせるかわりに安心と安全を提供してもらうことで良くも悪くも物事が回っていたと思います。

しかし望んで合わせているのではなく、安心と安全を提供してもらう目的のため、そして同調圧力があるために自分を殺して我慢して合わせているので、他の人がそこから外れることや異端に対して不寛容です。それがまた同調圧力を生んでいます。他者に完璧を求め、過ちを許さず、日本社会に圧迫感が生まれています。

徐々に安心も安全も提供されなくなってきている中、村社会型ヒエラルキーの中で同調圧力と圧迫感だけが残るという厳しい状況になっているように思います。

ヒエラルキー内での同調圧力がある反面排他的であることは、多くの会社は年齢が高い者を経験やスキルがあっても雇おうとしないことにもつながっていると思います。多くの会社は今でも「熱意があって社風に会う若い人を最初は安めの給料で雇い、時間をかけて教育し、会社のコントロールの下で長く勤めて経験を積みながら将来的に戦力になってもらいたい」と考えるだろうと思います。

年齢が高い応募者はそのやり方に合わず、雇う側の中で、無意識にせよ、年齢によるヒエラルキーの意識と在席期間によるヒエラルキーの意識がぶつかってしまうのだろうと思います。つまり、在籍期間ではヒエラルキーの上位にいる採用側が年齢ではヒエラルキーの上位にいる人を扱いづらいと感じて避けるのだと思います。

日本もアメリカ並みにサービス業の融通が効かなくなった

もしかしたら私が渡米する前の日本もすでにそうだったのかもしれませんが、前述のように、サービス業の企業が自分たちの都合、商売する側の都合を優先していたり、作業をアウトソースすることで、アウトソース先の企業なり個人はもはやサービス全体に対する権限も責任もないために融通が効かない状況が生まれており、以前はアメリカのそういった状況を見た日本人が「アメリカって、こういうところがだめだよね」と感じていたような状況に日本もなってしまったと思いました。

ここは日本ですが、自分の知っている日本ではないとさえ感じました。

卒業制作として作った短編映画の修正・バージョンアップ

日本での生活の再開に苦労しつつも、ニューヨークフィルムアカデミーで制作した卒業制作のバージョンアップ作業も続けました。

撮影前の準備不足や、本来撮影時に適切に指示すべきことをできていなかったためのものに加え、撮影前後で様々なトラブルがあって予定どおりの撮影ができずクオリティに影響していたので、それらをVFXで補うことにしていたからです。アメリカ滞在中も少しづつ修正作業を進めましたが、日本帰国後も引き続き修正・バージョンアップを行いました。

▶︎卒業制作の撮影前後で様々なトラブルがあり、クオリティにも影響を与えたことについては、こちらの投稿をご覧ください。

修正・バージョンアップは概ね細かいVFX作業です。デジタル時計の時間変更、カメラフレーミングがおかしかったためそれを修正するためのセットエクステンション、肌のレタッチ、役者の動きで揺れてしまったテーブルを止める作業、ロケーションオーナーのわがままで計画通りに撮影できなかったシーンの背景をCGに差し替える作業など多岐に渡ります。

例えばなぜ「役者の動きで揺れてしまったテーブルを止める」必要があったかというと、テーブル上のパソコンモニタに後処理で画面をはめ込む予定でしたが、テーブルもモニタも揺れる上にそれらを時折役者が覆ってしまっていたためトラッキングがうまくできず、そのままでは画面のはめこみができなかったためです。

トラッキングとは、映像撮影時にカメラが動いていたり逆に被写体が動いている場合に、合成するものをその動きに合わせることができるように動きを検出することです。テーブルもモニタも揺れる上にそれらを時折役者が覆ってしまっている状態では動きの検出がうまくできず、その揺れを止める必要がありました。

VFX作業としては、マスクを描いて役者を背景から分け、背景を静止させることでモニタ画面のはめこみをする際のトラッキングを不要にしたのですが、これにかなり手間がかかりました。

これらの修正、バージョンアップ作業に経済的にぎりぎりな中で取り組み、ある程度のレベルまでいったところで映画祭に応募を始めました。