オカルトホラー映画の代表作『エクソシスト』の感想(ネタバレあり)

オカルトホラー映画の代表作『エクソシスト』の感想(ネタバレあり)

1973年の映画『エクソシスト』を見た感想を書こうと思います。

『エクソシスト』のストーリー(あらすじ)

女優の娘の声や容貌が醜悪に変化し不可解な現象も起き、医者に診てもらっても拉致があかず、その女優に懇願されて同じ地域の神父で精神科医でもある男が診るようになる。彼は色々やった結果悪魔祓いの必要性を教会に相談し、その経験のある高齢の神父に依頼して二人で悪魔祓いをするが、高齢の神父は命を落とし、自分は悪魔を自らに取り憑かせて身を投げる。

『エクソシスト』を見た感想と考察

1973年の映画で、オカルトホラー映画の代表作とも言われるようです。様々な怖い演出の映画がある現在の目で見るとかなり初期的な印象がしますが、おそらくこの映画がその後の同種の映画に影響を与えているのだと思います。

少女に悪魔が憑き、醜悪な形相になり、汚いことばを吐いたり、首が回転したり、浮き上がったりなど、公開当時はかなりショッキングだったのではないかと思います。

一方、私見ですが、近年の映画に比べるとやや無駄な部分が多く、欠点もあるように感じます。以下解説します。

悪魔が憑いた原因は?

少女リーガンに悪魔が憑いた原因が不明確です。彼女がクローゼットで見つけたウィジャボード(日本で言うところのコックリさん)をしたことがきっかけだと思いますが、そのことと悪魔との関連性は描かれておらず、憑いた理由が不明です。

メリン神父がイラクで悪魔の彫刻を見つけたことでアメリカにいる少女リーガンに悪魔が憑いたとする説が見られますが、やや無理があるように思います。

誰のストーリーか

映画とは一般的には「誰かが何かをする」物語です。

▶︎ストーリーのない映画についてはこちらの投稿をご覧ください。

『エクソシスト』では、悪魔が取り憑いた少女リーガンとリーガンの母で女優のクリスが主役かもしれませんが、誰の物語かと言えばデミアン・カラス神父の物語ではないかと思います。しかし彼の描き方はやや弱い印象です。

元ボクサーで現在は精神科医でもある神父ですが、「精神病理学で信仰の悩みは解決しない」として今の仕事が向いていない、辞めたい、信仰さえ消えた、と悩んでいます。その後一人暮らしをしていた母親を亡くし、悪魔祓いを依頼されて最初は否定的だったものの懇願されてかかわりはじめ、少女に憑いた悪魔と対峙し、教会にも相談し、悪魔祓いの経験のある高齢の神父と悪魔祓いをし、最後は自分が犠牲になります。

少女の母親ももちろん娘のために色々と手を尽くしていますが、このストーリーの中で誰が一番活躍し人生が変わるほど変化したかというと、デミアン・カラス神父だと思います。自ら犠牲にさえなっています。

しかしこの映画はデミアン・カラス神父の物語だけを軸としては描いておらず、彼を主人公ととらえるには描き方がやや弱い印象です。もっと彼を軸に描いたほうが深みが出たのではないかとも思います。例えば彼の母との関係性や、母を失った悲しみと助けられなかったことへの罪悪感や、悪魔がそこを精神的に揺り動かしてくる部分などをもう少し掘り下げると良くなりそうです。

主人公以外の登場人物の背景ストーリーなど、余計なエピソードが多い

主要登場人物それぞれを表現するために多くの時間を使っており、彼らのバックグラウンドや人となりを表現していると思いますが、個人的には主人公以外の背景ストーリーはなくてもいいと感じます。

メリン神父のイラクでの発掘調査などのシーン
映画の冒頭のメリン神父がイラクで発掘調査をしているシーンから悪魔の像に出会うシーンは、メリン神父のバックグラウンドを示すと同時に、後に悪魔と対峙することの前触れ、フラグとなっていると思われます。実際、フリードキン監督が強く希望して撮影したとのことですが、これらのシーンは、メリン神父がイラクで悪魔の像を見つけたことで少女リーガンに悪魔が憑いたというストーリーでない限り、少女ともデミアン・カラス神父とも関係ないため、なくても成立すると思います。メリン神父も重要な登場人物ですが、主役ではない登場人物のためにわざわざイラクの遺跡発掘で大規模なロケを行ったのはややちぐはぐな印象です。

映画の冒頭でそのイラクのシーンに合わせてイスラム教のアザーン(礼拝への呼びかけ)が流れ、ミステリアスな雰囲気を出すのに役立っている反面、キリスト教の悪魔祓いを描くストーリーとちぐはぐな印象がしますが、宗教間の戦いを暗示しているのでしょうか。イラクのシーンで、メリン神父の仕事仲間?が、悪魔の彫刻を見ているメリン神父に突然「悪には悪を」と語りかける場面があります。

少女リーガンの母クリスが女優という設定
ストーリー中、少女リーガンの母クリスは女優で、撮影のため撮影場所のそばに一時的に娘やお手伝いさんと住んでいる設定となっています。屋外で映画を撮影している時にそれをカラス神父が見ているシーンや、女優の娘の様子がおかしくなったあと監督がその家のそばで死亡したため、それが悪魔の仕業ではないかと疑われるエピソードも描かれています。女優であり撮影場所のそばに住んでいるという設定によってそれぞれの登場人物を関連付けているのですが、女優であることや映画の撮影自体は悪魔憑きと関係がないため、必ずしも女優という設定でなくても、例えばある程度裕福な単なる主婦で、家のそばで亡くなる人物は夫や近所の人でもストーリーは成立はすると思います。

あるいは逆に、話がやや複雑になってきますが、娘の悪魔憑きが女優である母に何か関係していると、深みが出るかもしれません。

以上のように、メリン神父のイラクでの発掘調査のエピソードや女優という設定はストーリー上一定の役割を持っているものの、なくても成立するため、むしろデミアン・カラス神父の物語を掘り下げ、しっかり描いたほうが良かったのではないか、というのが個人的な感想です。

音楽、効果について

悪魔祓いの祈祷をするシーンは、現代の映画ならもっと音響で盛り上げるのではないかと思いますが、この映画はアカデミー賞で音響賞を受賞しています。

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