アメリカの映画祭で選ばれ、上映、そして受賞

映画祭応募

私はニューヨークフィルムアカデミー卒業後はOPTをしつつ、そして日本帰国後も、卒業制作の短編映画の修整・バージョンアップ作業を続け、ようやく映画祭に応募を始めました。

▶︎OPTについてはこちらの投稿をご覧ください。

▶︎日本帰国後の苦労についてはこちらの投稿をご覧ください。

映画祭に選ばれるまで

一般の人にはあまり知られていないと思いますが、世界中にはたくさんの映画祭があり、その歴史も規模も性格も知名度も様々です。

▶︎映画祭についてはこちらの投稿をご覧ください。

いろいろリサーチし、最初は、ある程度以上歴史があって応募すべき映画祭として認識されているらしい映画祭を中心に応募を続けました。

いくつか映画祭応募用のウエブサイトがあり、そのうちの一つWithoutaboxを利用しました。(その後2019年に廃止)

しかし小規模な映画祭で認定賞とでもいうべき賞をいただいたほかは、なかなか選ばれず、私の卒業制作に出演してもらったアクターにも相談し、あるアクターから、有名な映画祭以外にも応募するべきだとアドバイスを受け、彼に教えてもらった映画祭に応募し、選ばれました。ラスベガスの映画祭です。

映画祭に選ばれてからの手順など

選ばれた作品は映画祭で上映されます。その中でさらにカテゴリーごとに優秀作品が選ばれ、賞が授与されます。

上映のための映像データを送る必要があり、バックアップでDVDも送るように指示されていたのでそれぞれ送りました。

映画祭の期間中で自分の作品が上映されるのは一回とか限られた回数だけです。

ほとんどの映画祭同様、今回の映画祭でも選ばれたからといって渡航費や滞在費が支給されるわけではなく、自腹です。そのため自分の作品が上映される日と授賞式を中心に現地に滞在するスケジュールにしたいと考えました。

しかしぎりぎりまで上映スケジュールが決まらず、航空券を買ったりホテルを予約すべき時期になってしまいましたので、結局、映画祭期間いっぱいラスベガスに滞在することにしました。

ラスベガスの印象

ラスベガスというと、カジノやホテルがひしめくゴージャスな街というイメージがあります。あながち間違ってはいないのですが、実際にはラスベガスのほとんどは砂漠の中に低層の建物が広がる街で、カジノやホテルは散在していて繁華街はこじんまりしています。展望タワーから街を眺めると、中心的エリアは意外に小さいことがわかります。

ラスベガスの中心的エリアの全景ですLas Vegas

中心的エリア以外は低層の建物が広がりますLas Vegas

しかし夜に地上で繁華街を歩くと、それなりに「カジノやホテルがひしめく街」を感じることができます。

Las VegasLas VegasLas Vegas

きちんとしたカジノの中は「ゴージャス」なのだろうと思いますが、ホテルの一角にもスロットマシンが置いてあり一般の人がカジュアルに楽しんでいます。結構のんびりした雰囲気です。

ラスベガスの気候

ラスベガスは暑いです。せっかく長期間滞在しているので、個人的な作品としてタイムラプス用の撮影をしましたが、タイムラプスのための撮影は、一箇所あたり30分とか一時間とか長時間撮影をするため、日中の炎天下の撮影はちょっと無謀でした。Las Vegas

また、三脚を立てて長時間同じ場所にとどまって撮影する様子は一般の観光客の写真撮影と明らかに異なり、場所によっては警備員に注意されたりもしました。

映画祭の様子

映画祭によって規模が全く異なるのですが、今回の映画祭は、カジノや映画館、コンサートホールが併設されているホテルの映画館を利用して行なわれました。Palms Casino Resort

現地では、世界中から来た映画制作者達が交流し、非常に楽しかったです。知り合ったインディペンデント映画の監督と一緒に彼の作品の上映を見たり、監督によっては自分の作品をDVDにして販売しており、上映を見て気に入った作品だったので本人から直接買ったり、授賞式以外にもカジュアルなパーティーがあって何人かと話をしたりしました。

作品リストに日本人の名前を見つけ、それらの上映を見たり監督や関係者と交流もし、いろいろ刺激を受けることができました。

会社をやめてまで留学をした成果

有名な映画祭ではありませんが、ここで選ばれて賞を頂いたことは、私にとって、会社をやめてまで留学をした成果として大きな意味があります。

賞を頂いた短編映画のストーリーは、もともと渡米前に個人的に長編映画の企画として考えたストーリーです。当時テレビ局子会社に在席してテレビ局内で仕事をする中、映画やアニメなどのエンターテイメントコンテンツの企画や制作に携わりたいと思い、実際にはヒットした小説やマンガやアニメを原作として製作委員会方式で映画が作られることは知った上で、長編映画企画として自分でストーリーを考え絵コンテを描き、イメージボード(重要なシーンなどのイメージを表現したもの)を作り、企画書も書いて会社にアピールしましたが、箸にも棒にもかからない状態でした。

▶︎このあたりの様子を含む、渡米前の私の経歴についてはこちらの投稿をご覧ください。

46歳の時に会社をやめて英語留学と映画留学をしたのは、この企画を実現するためでもあります。TOEFLのリーディングとリスニングがまさかの0点の状態から留学して英語を学び、学生映画としてですがアメリカで短編にアレンジして脚本を書き、世界中から来た人たちやロサンゼルスエリアのアクター達と撮影し、様々なトラブルに対処しつつ、卒業後も修整・バージョンアップ作業を続けて仕上げたものです。

その後

この映画祭のあとしばらく動きがありませんでしたので、その後また生活のあり方を変え、一歩踏み込んだバージョンアップをしました。

▶︎このバージョンアップ作業の一部は、こちらの投稿や、姉妹サイトのこちらの投稿もご覧ください。

いずれ機会があれば書こうと思います。