『ゴジラ-1.0』山崎貴監督の得意分野がバランスよく活かされた良作

『ゴジラ-1.0』山崎貴監督の得意分野がバランスよく活かされた良作

映画「ゴジラ-1.0」(ゴジラ マイナスワン)は、山崎貴監督の得意分野がバランスよく活かされた、集大成的な良作だと感じましたので書こうと思います。

『ゴジラ-1.0』

ストーリー
特攻から逃げ帰り、自分のせいで周りの人々が伝説の巨大生物の犠牲になったことに呵責を感じる青年が、戦後さらに巨大化して来襲したその巨大生物を倒すことでけじめをつけようとする。

今作は、第二次世界大戦末期に、特攻から逃げ帰りさらに自分のせいで周りの人々が犠牲になったことに負い目を感じる若い男を中心に、戦争によって様々なものを失い政府も信頼できない中、巨大生物が襲来して翻弄される彼と彼を取り巻く人々がゴジラに立ち向かう様子がまとまりよく描かれています。

監督、脚本、VFX山崎貴

監督、脚本、VFXを手掛けるのは山崎監督のスタイルになっていますが、今作ではゴジラのデザインにも名を連ねています。

ゴジラをきっかけとしながらも人々のドラマが主体となり、VFXによって描かれた戦後の日本の様子や迫力あるゴジラとの戦いの様子と説得力のある芝居によって、バランス良くまとめています。

集大成

本作は、VFXを活用した映画に長く取り組んできた山崎監督と、山崎監督の勤務先である白組を含む周りのスタッフとの長い研鑽の上にあると感じます。

CG黎明期の白組と山崎監督の企画で日の目を見なかった、「モンスターに主人公が立ち向かう」ファンタジーSFアクション『鵺』(ぬえ)でやりたかったであろうことの片鱗はその後の彼の映画に断片的に見られますが、今作『ゴジラ-1.0』は、その後手がけた様々な作品を経て現時点での集大成ともいえるものになっていると思います。

山崎監督はSF志向がありますが、『ALWAYS 三丁目の夕日』への取り組みをきっかけに古い日本を描くことに力を発揮しています。また、デビュー作のタイトルが『ジュブナイル』であることにも現れているように、ジュブナイル(青少年を扱った作品)も得意です。

本作は『三丁目の夕日』と共通する古い日本(戦後)が描かれ、しかしかつて『鵺』で企画していたようなモンスターが登場するファンタジーSFの世界観。ジュブナイルではないものの、若者達の生き方を描いており、企画として山崎監督にうまくマッチしています。というより、山崎監督自信が自分の得意分野を自覚してうまく自分に引き寄せたのだろうと思います。

また、戦艦や戦闘機などの兵器は人々の関心が集まる素材ですが、今作では史実に基づく戦艦やレアな戦闘機の映像化もあり、そういった見せポイントもうまく押さえています。

ツッコミどころがないわけではないですが、違和感なく見れるのは、役者のキャスティングと芝居が適切だからだと思います。

白組のほか、山崎監督の作品をずっと手がけてきた阿部秀司プロデューサー、撮影の柴崎幸三さん、美術の上條安里さんなどもスタッフとして名を連ね、『三丁目の夕日』にも出演した吉岡秀隆さんも主要な役柄で参加し、『ジュブナイル』の頃のVFX表現と比べるとここまで来たかと感じる高度なVFXも合わさり、現時点での一つの集大成と言えそうです。

巨大生物がなぜ来たかは(ほぼ)描かれない

今作では、「水爆実験で飛散した放射能や放射性廃棄物の核エネルギーを浴びて変貌し、極めて強力な熱線を発する」というゴジラの基本設定を引き継いでいるようですが、なぜゴジラが来襲するかは特に描かれていません。以下が理由だと思います。

・そこは主たるテーマではない
・ゴジラの基本設定を知っている人は特に、「原子力の脅威」のニュアンスを含みつつ「厄災」あるいは「神=自然」の象徴として受け取ることができる。基本設定を知らなくてもそこは主たるテーマではないので構わない
・政治的配慮