「先輩」「後輩」を英語に訳す必要がある場合、先輩には「senior」、後輩には「Junior」が割り当てられることが多いと思いますが、日本語の「先輩」「後輩」とは意味、ニュアンスが違います。
日本語が分かるアメリカ人にも確認してみました。
「先輩」「後輩」ということばには上下関係の「関係性」が表されていますが、「senior」「Junior」には上下関係の「関係性」を意味するニュアンスはなく、「先輩」「後輩」に当たる英語はないとのことです。
senior(シニア)は年長者、高齢者、先任の、上級の、Junior(ジュニア)は年少者、後進の、下位の、という意味が基本で、「関係性」ではなく客観的な状態を表現していると思います。注意が必要なのは、四年制の大学・高校において3年生を「Junior」というようです。
このような「先輩」「後輩」といった「上下関係」を表す表現がある点から見ても、日本人にとっては、組織やグループでの在席期間や年齢に基づく「上下関係」が重要視されている事がわかります。
言語には、その言葉を話す人々の「メンタリティ」や「何に関心があるか」が現れます。人間関係や社会的立場を表す言葉(尊敬語・謙譲語・丁寧語もそうです)が多いことの他にも、日本語には雨に関する表現をはじめ、自然・季節の移ろいに関する表現が多いことも有名です。
実のところ、「Senpai」は、日本のアニメから英語圏のオタクスラング/ネットスラングになり、「思いを寄せているが振り向いてくれない、気付いてくれない人」の意味で使われているようです。ただし、2021年現在まだ使われているかどうか不明です。
英語は自分を表す表現「I」「my」「me」もニュートラルです。日本語には、特に男性にとっては自分を表現するニュートラルな単語がないと思います。
男の子が「僕」というのは自然ですが、大人の男が「僕」というと、やや子供っぽさ、またはカジュアルさが感じられます。「俺」もカジュアルな表現で、ややぶっきらぼうな印象、自分を力強く、又は偉く見せている印象がします。「私」というとビジネスライクまたはフォーマルに感じます。
どの表現を使っても何らかのニュアンスがついてしまい、英語の「I」のようなニュートラルな表現がないです。