キャリアブレイクの勧め

キャリアブレイクの勧め

キャリアブレイクとは、育児のためのほか、新しいことに取り組んだり勉強をするために「キャリア」(仕事・仕事の継続性)を「ブレイク」(休憩・中断)することです。

ここでは後者、つまり「新しいことに取り組んだり勉強をするため」の意味で、私の経験も交えながらキャリアブレイクについてお話しします。


■要約
村社会型の日本の社会や就労システムの中で、周りに合わせることで提供されてきた安心と安全はもはや十分には提供されず、物事が自己責任となり、しかし旧来型のヒエラルキー意識と同調圧力は残り就労環境も厳しくなる中、刻々と変化する世の中の主流や需要を見据えて、新しいことに取り組んだり勉強したり試行錯誤をして自分の進むべき方向性を見極めるための選択肢の一つとしてキャリアブレイクすることを勧めます。

 

生活や社会をまわす価値交換の一端である「仕事」が人生を食いつぶしかねない

相手に物や情報やサービスや労働力など何らかの「価値」を提供してその対価(お金)を受け取り、別の相手から物や情報やサービスや労働力などの「価値」を受け取る時には対価(お金)を渡すことで個人個人の生活や社会がまわっており、「価値を提供して対価を受け取ること」がすなわち仕事ですが、村社会日本では特に会社勤めにおいて「仕事に捧げる毎日」になりがちです。

村社会の中での同調圧力とその中で生きる生活の知恵

村社会気質が強く残る日本では、自分がどう思うかよりも周りがどう思うかを意識し、周囲の人、学校、会社、世間といった自分を取り巻くものに合わせるかわりに安心と安全を提供してもらうことで良くも悪くも物事が回っていたと思います。

それは結果的に就労システムとしてもあらわれ、日本の就業形態は「就職」ではなく「就社」であるとも言われるように、終身雇用制での会社のあり方もその最たるものです。

日本特有の制度といわれる新卒一括採用によって卒業前の学生を会社によっては大人数採用し、何年もかけて教育し、歳をとるまで雇うことを前提とする代わりに、年功序列型の給与体系及び人事体系の中で会社への献身を求める村社会型システムです。

若い応募者にとっては入社時の経験やスキルはさほど求められず、会社の方針に合わせてそれなりに真面目にやってさえいれば歳をとるまで雇い続けられ給料も上がっていき、結婚をしたり子供を育てるなどのライフステージに合わせた人生設計を立てやすいというメリットがある反面、若いうちは給料が安めで、本人の希望よりも会社の都合で部署や仕事内容が決められがちで、仕事優先で勤務が長時間になり会社が自分の人生の中心になってしまいやすいというデメリットもある仕組みでした。

村社会日本では、自分の意に添わなかったり辛くても我慢して周りに合わせているためか、枠組みから外れようとする者に不寛容で、抜け駆けに嫉妬し、一方、自分の気持ちの代弁者が現れるとみんなで祭り上げ、しかし気に入らないことが出てくると引きずりおろします。

大小にかかわらず身近なコミュニティにおいて、「世間一般では」とか「周りがどう思うか」を意識して行動するのは村社会で生きる上での生活の知恵でもあったと思います。「空気を読む」とか「右へならえ」「長いものには巻かれろ」「敷かれたレール」というようなキーワードでも表現されるものですが、みんなと同じであることが良しとされ、自分の意に添わなかったり辛くても我慢して合わせることで爪弾き(つまはじき)にならず安心と安全につながっていました。

仕事でも同様で、周りの人と同じように就社(就職)し、周りの人と同じように毎日通勤し、社内でも周りに合わせ、会社の方針に合わせ、クライアントの無理難題に合わせ、長く勤め上げることを良しとし、結果的に多くの人が「中流」と感じる生活ができていたと思います。

セイフティネットの崩壊 安心も安全も十分には提供されなくなってきた

しかし社会が変化する中で「世間一般」も変化し、これまで安泰だった大企業の経営さえつまずき始めました

その多くは、右肩上がりの経済の中で既得権益や雇用にあぐらをかき、村社会型の組織の殻の中で偉ぶるわりにさほどリーダーシップを取らないトップ以下マネジメント層と、時に自覚的に時に無自覚に楽をすることからサボることを覚えた人々が、お客・ユーザーの利便性より自分達の都合を優先し、社会が変化してもなおあぐらをかき続けたことが原因だと感じます。

雇用、特に終身雇用前提の正社員もある意味既得権益です。

日本の企業は、既得権益によって甘い汁を吸おうとする一方、社内の業務のしくみも会社のサービスも改革が進まず、何か問題があってもトップが責任を取らない、というイメージがあります。政治も同様です。

経済的に厳しくなってきた会社の多くは、まず人件費を抑えようとします。正社員を減らし、契約や派遣という雇用形態を人件費を抑え解雇もしやすくするために利用し、終身雇用制度は崩壊し始めました。

契約社員や派遣社員どころか業務委託で「雇う」例も増えてきているように見えます。

業務委託は雇用ではなく業務を「委託」する契約で、人によっては業務委託での仕事のしかたの方がいい場合もあると思いますが、雇用と異なり社会保険などの保証がないことが普通です。正社員や契約社員のほか条件を満たす就業状態の派遣社員も雇用する会社を通じて社会保険に加入できますが、業務委託の場合はそれができず、交通費も通常は業務委託料に含まれると思います。

特に常駐型の業務委託の場合は、会社側が単に「社会保険の加入や交通費などの手間やコストを省き、契約社員や派遣社員と異なりいつまで「雇って」も無期雇用にしたり直接雇用をする義務がなく、またいつでも「解雇」できる状態を維持したまま、しかし社員と同じように会社が指示管理をしようとする」危険性があり、注意が必要です。

あるいは、会社が社員に恒常的なサービス残業、長時間の残業をさせることで仕事を回そうとし、場合によってはそこにパワハラも加わり、ブラック企業という表現も一般化しました。

また、もともと企業が自社内に技術がない業務を外注することは一般的ですが、一面では、まともにやると手間やコストがかかることやめんどうくさいことを安く外注先にやらせ、外注先は人件費を抑えてなんとか対応するということも多かったと思います。経済が下向きになるにつれ、それが顕著になっていきます。

それどころか、下請け企業も中抜きをしてさらに下請けに出したり、経験やスキルが必要な仕事であっても安い給料でアルバイトにやらせ、場合によって現場に社員はおらずアルバイトがアルバイトの管理をする例さえあると思います。しかも給料が安い上に安定した雇用ではなく人手が必要な時だけ日雇いで雇い、それでは生活できないため日勤と夜勤を繰り返す人もいます。アルバイトの年齢は10代から60代程度まで広範囲に渡ります。

日本は、人手が足りないという会社と仕事に就けない人であふれかえっています。

日本のグローバル化が遅れた一因として、日本は国内の経済規模が十分に大きくその中で良くも悪くも商売ができてしまう、という表現を見聞きしますが、その裏には、極端な人件費削減と、低賃金で不安定な就業状況に置かれた多くの人によってかろうじて成り立っている面があり、いやもはや成り立ってなどおらず、グローバル化できていない上に国内の雇用や就労環境も不安定になり、購買能力は減退し、経済は停滞しているように見えます。

一方、税金が使われる公共事業にも既得権益者が群がって不当に利益をあげ有効に使われず、ほとぼりが覚めた頃に関連性がわからないような方法(名目)で増税される繰り返しです。

政府は借金も増やし続け、また、年金制度は徐々に破綻へと向かっています。 また、私の知人の様子やネット上の情報を見ると、まだ破綻しないまでもすでに年金だけでは生活できない場合が多いようです。

もはや安心や安全が提供されているとは言えない状況です。

なくならないヒエラルキー意識

一方、終身雇用制度の維持が難しくなるのと同時に年功序列も崩れてきているかというと、実際には単に「歳をとっても(=社歴が長くなっても)必ずしも自動的には給料が上がらなくなった」だけで、年齢または社歴によってヒエラルキーを作ろうとするメンタリティは全く変わっていないように見えます。

歳をとった人達だけが自分に有利なようにしているわけではなく、若い会社、若い人であっても同様です。

日本語に「先輩」「後輩」という英語にはない表現がある点から見ても、日本人は、組織やグループでの在席期間や年齢に基づく上下関係を重要視している事がわかります。すでに学校のクラブ活動で多くの人が何の違和感もなく「先輩」「後輩」という上下関係の中で生活しており、それは社会人になってからも続きます。

日本語は上下関係を表現しやすいように発達しており、おそらく多くの日本人は、組織やグループでの在席期間のほか、年齢や様々な立場によってヒエラルキーを意識し、目上の人に話す時と目下の人に話す時で表現を変えていると思います。

一方、年齢や在席期間によるヒエラルキーを重視する裏返しとして、若い世代が、自分たちの求める状況を実現するじゃまになっていると感じる古参を「老害」と呼んで嫌悪したり世代交代を求める意見を見聞きすることがありますが、そもそも日本人のメンタリティが在席期間や年齢に基づく上下関係を作っており、世代交代を求めている層もそれらに左右されないフラットな関係性や就業環境にしたいと思っているわけではなく自分(達)を頂点とするヒエラルキーを作りたいと思っているだけで、世代交代をしたところで、交代した若い世代が次の「老害」になっていく繰り返しになる可能性が高いだろうと思います。

古参が上に居座るから若い世代は自分達を頂点とするヒエラルキーを作ろうとし、古参は自分が上の立場にいると信じて疑わず、または若い世代のヒエラルキーからは締め出されることを知っているから今のポジションに居座ろうとする、原因と結果の循環になっている面があります。

ヒエラルキーによって自分のポジションやベネフィットを維持しようとするのは、既得権益の構造にもつながり、村社会日本特有の現象なのかもしれません。

▶︎言語に見る国民性、英語には先輩・後輩にあたることばがないことについてはこちらの投稿をご覧ください。

安心も安全も提供されない中、旧来型のヒエラルキーの中で同調圧力だけが残る

「自己責任」という言葉を聞くことが増えてきたように感じます。徐々に安心も安全も提供されなくなり、物事は自己責任となり、セイフティネットがないと嘆く人が増えてきている中、しかし旧来型のヒエラルキーの中で同調圧力だけが残るという厳しい状況になっているように思います。

むしろ、それぞれが自分の考えや都合を述べているだけであってもそれを同調圧力と思い込む気質が残っている面もあるかもしれません。

仕事が自分の方向性と違う、つまらない、つらい、会社に行きたくない

希望して就いた仕事であれ、やむなく就いた仕事であれ、現在の仕事、特に会社務めの仕事が楽しくて満足しているという人はどれだけいるでしょうか。

右肩上がりの経済の中で村社会型の就労システムが機能し、それなりに真面目にやっていれば(いやもしかしたら多少サボっても)雇い続けられ給料が上がっていった時代であれば、仕事がつまらなかったり自分の意に沿わない人事が行われたとしても、まあしょうがないと思って続けることができたかもしれませんが、時代は変わりました。

毎日同じ時間に起き、混んだ電車やバスに乗り、ますます仕事の効率が求められる中、ソリの合わない人とも一緒に仕事をし、クライアントや上司からの過度な要求にも応え、遅い時間まで働き、疲れ果てたりストレスに押し潰されそうになっている人も多いのではないでしょうか。

仕事が大変でもその仕事が好きなら幸せですが、現在の仕事や会社に不満を感じていたり、自分のやりたい仕事ではないとか自分に合わないと感じていたり、様々な理由でとにかく会社に行きたくないと感じていても、仕事に追われ自分を振り返る間もなくただ辛い毎日を繰り返してしまっている人は多いのではないかと思います。

仕事から自分の気持ちが離れていき、「生活費を稼ぐだけで終わる人生」「何のために生きているか分からない人生」になりかねません。

いや、「生活費を稼ぐのもままならない」場合や「多少余裕があってもストレス解消に消える」状態もあるかもしれません。

キャリアブレイクの勧め

そんな中、転職は一般的になり、若い人がビジネスを始めることも増えているように見えます。

転職ということを考える場合、転職をする側も転職者を採用する企業側も、すでに経験があることを活かすという発想になりがちで、同業他社へ転職することが多いと思います。しかし現代は社会の変化が大きく、世の中の主流や需要は刻々と変化し、自分の興味や仕事に対する考え方も変わるかもしれません。新しいことを勉強したり、場合によっては自分の進むべき方向性を試行錯誤して方向転換をしていく必要もあると思います。

そのため、「今やっている仕事は好きだし会社務めは合っているけれど、たまたまその会社が合わない」という場合は自分に合う社風の同業他社に転職するのがいいかもしれませんが、現在の仕事が自分の思い描く方向性と違うとかつまらないと感じていたり、自分の関心に応じて何かにチャレンジしたい場合、今の会社で仕事を続けるか転職するかの二択ではなく、新しいことに取り組んだり充電をする期間を設けてキャリアブレイクをするのもいいのではないかと思います

「キャリアブレイク」はもともと、女性が出産して子供を育てるために仕事を離れることをキャリアの「ブランク」と考えられていたのを肯定的に捉え直すために使われ出した言葉のようですが、性別にかかわらず、新しいことに取り組んだり勉強したり、留学などで世界を見たりするために「キャリア」(仕事・仕事の継続性)を「ブレイク」(休憩・中断)することを表すのにも使われます。

私の場合

私は25歳の時に、それまで3年弱務めたグラフィックデザイン会社を辞め、同業他社に転職をしても自分のイメージするビジュアル制作の仕事にはつながっていかないと考え、フリーランスになりました。当初はエアブラシで絵を描いたり立体作品を作ってあちこちに売り込みをして様々な仕事をしましたが、仕事には波があり自分の作品も作っていたので日雇いの仕事も入れながらフリーランス兼フリーターで5年活動しました。

このフリーランス兼フリーターの時期に世間にパソコンが普及し始め、私もMacを買ってビジュアル作りやCG制作に取り組み始め、作った作品を持ってあちこちに売り込みをしました。その後縁あってテレビ局の子会社のデザイン会社に入り、CG制作と管理業務合わせて16年務めた後、もっとコンテンツそのものを作りたいと考えその最たる映画制作の勉強のため46才の時に退社し、語学留学と映画留学をした後フリーランスとして仕事をした期間を含め5年間アメリカに滞在しました。

日本に帰国後は映像制作の仕事をしたり、既存作品のバージョンアップと知り合いの自主制作映画の手伝い、次に向けての準備・模索をしています。

▶︎私の留学前の経歴についてはこちらの投稿もご覧ください。

▶︎既存作品のバージョンアップ作業の一部は、こちらの投稿や、姉妹サイトのこちらの投稿もご覧ください。

▶︎自主制作映画の手伝いについては、こちらの投稿、こちらの投稿、こちらの投稿もご覧ください。

私はずっと自分の進むべき方向性を試行錯誤しつつ方向転換をして、結果的に会社務めとフリーを交互にやってきました。25才のときも46才の時も、ある程度の方向転換やその模索・勉強をするために、まとまった時間が必要でした。

会社員であれフリーランスであれ、最初からやりたいことが明確でそこに向かって努力して成果を出せる人は素晴らしいです。あるいは会社に勤めながら副業で成果を出せる人は副業の売上で生活できるようになったら、そのまま移行することもできます。

しかし私のようにそうではない場合、キャリアブレイクが有効だと思います。

キャリアブレイクの準備

キャリアブレイクをして勉強をするにしても、自分でビジネスを始めるにしても、自分の取り組みたいことに取り組むあいだ無収入でも生活できるように、お金をためておく必要があります。1年分とか2年分とか、あるいはもっとか、自分の必要に応じて準備するといいと思います。そのために通常は節約が有効です。

▶︎留学資金の作り方についてはこちらの投稿をご覧ください。

キャリアブレイクは若いうちの方がいい

私は様々な年齢でキャリアブレイクした経験から、年齢に関わらず自分の進むべき方向性を試行錯誤したり方向転換することを勧めていますが、現実的にはキャリアブレイクはなるべく若いうちの方がいいと思います。

上記のとおり日本の多くの会社は今でも「熱意があって社風に合いそうな若い人を最初は安めの給料で雇い、時間をかけて教育し、会社のコントロールの下で経験を積みながら長く勤めて戦力になっていってもらいたい」と考えます。「就社」の発想の村社会型就業システムです。

この就業システムは、仕事の内容や会社の風土が自分に合わないと感じて早々に辞める若い人とのミスマッチがある一方、外で異なるキャリアを積んだ年齢の高い再就職希望者ともミスマッチがあり、年齢が上がれば上がるほど困難な状況となります。

もっとフレキシブルに考える会社が増えて欲しいと思いますが、この日本型の会社の仕組みは、日本人のメンタリティに由来する、会社にとってはある種の合理性のある方法だと理解して対処する必要はあるだろうと思います。

▶︎50歳以上で再就職をする場合、特に長期の留学などのためブランクがある場合に意識すべきことについてはこちらの投稿をご覧ください。

キャリアブレイクのタイミングはその人の状況次第ということになります。仕事の内容や会社の風土が自分に合わないと感じ自分の健康にも悪影響が出るくらい極端な状況であればすぐに辞めるべきだと思いますが、仕事の流れや特定のスキルなどその会社で学べるものもあり、また前述のようにキャリアブレイクの準備としてある程度のお金をためておくことを考えると、2~3年は勤めるのがいいのではないかと思います。

逆に、自分に合わないと感じながら例えば10年も20年も勤めてしまうと、キャリアブレイクでの試行錯誤や方向転換や再就職に適した時期を逃してしまいます。

学生の場合も同様

学生も同じことがいえます。自分のやりたいことがわからないということを時々見聞きしますが、学生の頃は比較的時間の余裕がありますので、様々なことに取り組んで自分のやりたい方向性をある程度見極めておくといいと思います。

自分で家賃や食費その他の生活費を払いさらに家族を養わなくてはいけない状況になると、そのために稼ぐことで毎日がいっぱいいっぱいになり、新しいことに取り組むのが困難になっていきます。学生の頃は毎月自分で家賃や食費その他の生活費を稼ぐ必要がない人が多いと思いますので、この、人生の中で試行錯誤に非常に適した時期を大事にして活用するべきです。

あるいは、高校、大学は基本的に自分で志望して入学したはずですが、授業の内容に興味が持てない場合もあるかもしれません。それでもとりあえず真面目に学んでみて身についたり見えてくるものもあると思いますが、学校の授業がつまらないとか学校に行くことに違和感を感じるのであれば、休学や中退をして自分のやりたいことに取り組んだり世界を見てみるのもいいと思います。

特にこれからは、仕事でも日常でもますます世界中の人とのコミュニケーションが増えてくるはずですので、若い人全員留学すべきとさえ思います。

余談
 
ユーザーの利便性より企業側の都合が優先されているものはまだまだ多い

安泰だった大企業の経営さえつまずき始めたのは、右肩上がりの経済の中で既得権益と雇用にあぐらをかき、お客・ユーザーの利便性より企業側の都合を優先したことが原因だと感じる、と上で書きましたが、「お客・ユーザーの利便性より企業側(サービス提供側)の都合を優先」している事柄はまだまだ沢山あると感じます。

お客・ユーザーの足元を見るかのような手数料徴収、電話窓口や店舗窓口での極端な人件費削減と窓口対応時間の設定、サブスクに関連する理不尽なデメリットなど、企業にとっては経営上の努力であっても、今後お客・ユーザーが離れていくだろうと思われるものも多いです。

新しい生き方(社会システム)の必要性

現代は、長い年月の様々な経緯の末、多くの人が会社で仕事をして、その対価として価値の交換手段としてのお金をもらい、それを自分の必要なものと交換することで人々は生活しています。しかしそもそも、人が生きていくその方法を改めて考えてみると、もしかしたら他により良い方法があるのかもしれません。

それは資本主義か社会主義かといった議論の延長にあるのか、また違った考え方なのかはわかりません。いずれにしてもすぐには変わらないと思いますが、多くの人が現在の仕組みで困難を感じているのであれば、いずれ変わっていく、あるいは変えていくべきだと思います。

例えば現状のシステムの延長線上で、ベーシックインカムの導入というアイディアを見聞きします。国民全員一律に、最低限の生活に必要なお金を国が支給するというものです。基本的な生活が保証されることで経済的にも精神的にもゆとりある生活ができるようになって、より豊かな価値の創出と交換が行われるようになるのか、それとも人々が働かなくなってしまって財源が確保できなくなるのか、あるいはこれさえ他の社会保障をカットする方便にされてしまうのか全く未知数ですが、様々な問題を解決する可能性はあるように見えます。

あるいは、多くのもの(物や情報やサービス)と交換ができるために「価値」のやりとりに適した便利なツールとしてお金が使われていますが、結果的に「価値」のやりとりができればいいのであって、必ずしもお金は必要ないという考え方もあります。文明の初期には物々交換が行われていたでしょうし、どのみち価格をつけて交換するのであれば、「物」と「物」だけでなく、「物」「情報」「サービス」それぞれをお金を介さずに交換してもいいはずです。すでに日常的に貨幣や紙幣を使わず、値段の情報だけで給料を受け取ったり物やサービスの購入支払いをすることが多いと思います。

また、いまだに村社会型就業システムの中で60歳程度まで働いて引退する前提になっていると感じます。歳をとると就職は極めて困難になり、高齢でも就きやすいのは皮肉にも、体力的には本来若い人の方が合っていると思われる日雇いの体力仕事や清掃の仕事などが多くなります。古参・年齢の高い人が上に居座ることを問題視する反面、高齢者に体力仕事や掃除をさせようとする社会になって久しいです。

人生100年で仕事を始めるのが20歳程度とすれば、社会人人生の半ばですでに仕事に就くのが困難になってしまう状況です。しかも年金だけでは生活できず、不足分を補おうと思っても高齢での体力仕事には限界があり、かといって学校ではお金やビジネスのし方は教わっておらず、一つの会社の中だけで長年仕事をしてきた場合は特に、身体が徐々に衰えていく中でビジネスを成功させられる人は多くはないと思います。そのため高齢者は身を守るために現在のポジションに居座るかお金を溜め込むしかなくなり、益々組織の新陳代謝や経済は停滞します。

一人一人がキャリアブレイクなども通して勉強する必要がある一方、人が生きていく社会の仕組みのデザインはこれから必要になってくると感じます。