VTuber(バーチャルYoutuber)の活動そして動画は、今の時代に合ったタレント活動・映像コンテンツとして注目し、視聴者として楽しんでいます。
当ブログ形式ウエブサイトのテーマからやや外れますが、ここではVTuber星街すいせいのオリジナル曲「Stellar Stellar」の楽曲、歌詞の内容、MVなどについて考察と感想を書こうと思います。1年近く前にYoutubeにMVが公開された曲です。
星街すいせいは個人勢からVTuberグループのホロライブに加入したタレントで、他のVTuber同様ソロやコラボでのゲーム実況なども行っていますが、歌い手としての比重が高いタレントです。
星街すいせいYouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UC5CwaMl1eIgY8h02uZw7u8A
オリジナルソング「Stellar Stellar」の「Stellar」は、「星の」「星のような」という意味の他に、「きらびやかな」「一流の」という意味もある形容詞で、「彗星の如く現れたスターの原石!アイドルVTuberの星街すいせい」という自己紹介のとおり「星」や「スター」をテーマとして上を目指し前進していく歌手として、彼女のアイデンティティを表現した曲となっています。
この自己紹介の表現は個人勢の頃から使っており、ホロライブへも交渉して、別のキャラクターではなく「星街すいせい」のまま加入したとのことで、「星街すいせい」であることを大事にしてきた彼女にとって一層力の入った曲ではないかと思います。
「だって僕は星だから Stellar Stellar」と、いきなり高いキーの裏声のアカペラから入る難易度の高い歌だと思います。レコーディング上や音声編集上のテクニックは当たり前に使われていると思いますが、高い歌唱力を感じます。
「その手を伸ばして 誰かに届くように」の部分や「待ってるシンデレラじゃないさ 迎えに行く王子様だ だって僕は星だから」などのそれぞれの最後を伸ばす声が伸びやかです。時にうっすらとコーラスが加わり、上昇感や広がりを感じます。
楽曲と歌唱が合わさって、きらびやかさや疾走感もある曲となっています。
作詞は星街すいせい自身となっています。
何かのストーリー・できごとを表現した内容ではなく、自分はこうだ、ということを中心に、心象的・感覚的な表現の断片で韻を意識してつないでいます。
歌詞特有の言い回しを崩して内容を少し整理すると以下のようになると思います(歌詞そのものではありませんので注意してください)。モノローグとは一人芝居のセリフやひとりごとのことです。
僕は星だから。
君はもう僕の心の中のことに気づいていたんだろうけれど、これから陳腐なモノローグとして話そうと思う。
朝の匂いが憎らしくて部屋の隅で震えていた。太陽なんていらない。夜があけないでほしい。
誰かに届くように手をのばして、
僕も君と同じように特別ではない。
僕は夜を歌う。
輝きで今宵音楽は止まない。
僕はシンデレラではなく王子様になりたかった。だって僕は星だから。
ありふれた話しに感じる。
あの星も、明日なんて来ないでと泣いている。
誰かに届くように手をのばして、
大切なものは見えない。
僕は夜を歌う。
今宵音楽は止まない。
僕はヒロインではなくヒーローになりたかった。
夢見がちなおとぎ話。
僕は夜を歌う。
輝きで今宵音楽は止まない。
僕は愛を歌う。
世界、宇宙の真ん中で今宵音楽は止まない。
僕はシンデレラではなく王子様になりたかった。だって僕は星だから。
僕は星だった。
ここでの「君」は、特別な存在の誰かというよりも、語りかけている相手のように感じます。ただし、モノローグなので相手は目の前にはいません。特別な誰かではないけれども「きっと君はもう気づいていた」と表現しているので、相手がこちらのことを理解する程度には付き合いがある関係性です。
語りかけるための仮想の相手かもしれませんし、星街すいせいのリスナーひとりひとりかもしれません。「僕だって君と同じ 特別なんかじゃない」と表現しているので、その他大勢の人たち同様自分も特別ではないけれどこう有りたいと思ってきた、ということだと思います。
「僕は星だから」と表現される「星」は、英語の「star」に複数の意味があるように、夜輝く「星」と「スター」にかかっています。
僕は星だから自分が輝けるように夜は明けてほしくない。スターとして誰かに届くように歌い、ヒーロー、王子様になりたい、という歌詞です。
ずっとなりたかったのはシンデレラではなく王子様、ヒロインではなくヒーロー、ということは、女性だけれど、シンデレラやヒロインではなく、ヒーローや王子様になりたかった、だって僕は星だから、という内容だと思います。
冒頭の「だって僕は星だから Stellar Stellar」の部分は降り注ぐ青いグラフィカルな光の線の前で歌う星街すいせいが描かれますが、その後タイトルが入ったあとは街角の実写映像や、街中の渋滞気味の車の映像、高層の建物の夜景と、その窓の光が水面に映る風景へとつながります。
これらの実写のロケーションは「亀戸」の地番の見える街角のほか、亀戸周辺や、渋谷、大阪が主なロケーションになっているようです。ネット上には「聖地巡礼」をしている人がレボートを載せています。
夜のことを歌っており映像も夜の風景ですが、隠された意味があるのでなければ歌詞とそれらの日本の風景やロケーションに直接的な関連はなく、歌っている星街すいせいのアニメ調の表現に対しその背景は実写の夜景が合成されているということだと思います。
次に屋内に移り、夜の部屋に置かれたモニターなどに映された星街すいせいが歌う映像となります。
歌詞の中に、「部屋の隅で膝を抱えて震えていた」とか「夜があけないで」と願うくだりがありますのでそことやや連動していますが、ここでもテレビモニター、ノートパソコンのモニター、スマホのモニターの中の星街すいせいはアニメキャラクター風で、背景は実写となっています。
その後白い背景の前で歌ったり、交差点の実写映像を背景に歌ったりし、そこにデザイン要素がプラスされる演出となっています。以降、同様の演出の繰り返しになります。
歌詞の文字をデザイン要素として動きもつけて映像中に入れるスタイルがVTuberも含むネット発の音楽のMVに多く見られますが「Stellar Stellar」でも多用されています。
これが日本でいつ頃から始まったのか、誰が始めたのかわかりませんが、文字要素に動きをつけたりランダムに配置するスタイルは、映画のタイトルバック映像の分野で主に1990年代以降一斉を風靡したカイル・クーパーの手掛けたタイトルバックにも見られます。そのスタイルが様々に影響して今に至っているのかもしれません。
▶︎カイル・クーパーを含む影響力のある映画デザイナー6選についてはこちらの投稿をご覧ください。