画像生成AIは、シンセサイザー/サンプラー/シーケンサーが一般化した歴史をたどる

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画像生成AIは、シンセサイザー/サンプラー/シーケンサーが一般化した歴史をたどる

機械学習をしたチャットボット(大規模言語モデル)同様、画像生成プログラムがAIとして盛り上がり、その可能性と共に様々な問題点も議論されているようです。

その中で、画像生成AIで作画した絵を手作業で描いた絵と同列に扱わないようにする動きもありますが、ビジュアルの分野の画像生成プログラムの立ち位置は音楽の分野のシンセサイザーや特にサンプラーやシーケンサーの立ち位置と共通点があり、今後同じような状況になるのではないかと思っています。

本来、画像生成AIと対になるのは音楽生成AIかもしれませんが、シンセサイザーやサンプラーやシーケンサーをとりまく状況にも「あ、これは同じだな」と感じることがあり、しかも「すでに起きたこと」で「ある程度社会の中でこなれてきた」ことだと思いますので比較しようと思います。

現在、各種の「生成AI」と言われているものは、よくできているとは思うもののユーザー側に「インテリジェンス」が求められるため、AI(Artificial Intelligence – アーティフィシャル・インテリジェンス)というより単なるプログラムではないかと個人的には思いますが、イメージしやすくするためにここでは「画像生成AI」などと表現します。

画像生成AIで生成できるものには写真(調)とCG(調)、絵やイラスト(調)がありそれぞれやや状況は違うと思いますが、ここでは話を単純化するために絵やイラスト(調)を念頭に置いています。

補足

シンセサイザー
シンセサイザーは基本的には音色を生成するための機械で、鍵盤がついていてそのまま演奏できるタイプと、鍵盤は付いておらず外部から演奏情報を送って演奏(発音)させるタイプがあります。

サンプラー
サンプラーは、身の回りの音や既存の音楽の音やフレーズを電子的に記録して、鍵盤又は外部からの演奏情報で演奏(発音)させる機械で、シンセサイザーの一つのカテゴリーと言うこともできるかもしれません。

他人が作った音楽からサンプリングするのは著作権的にどこまでOKか、という問題は、生成AIの学習にも通じると思います。

シーケンサー
シーケンサーは演奏情報を記録・再生する機械で、実際に演奏した演奏情報を記録することも、数値的に打ち込みをすることもできます。

音楽の場合、他人が作曲した曲を「演奏」することが芸能として確立されているのが絵やイラストと異なりますが、多くの面で対となる分野だと思います。

音楽の分野の状況から予測する画像の分野の状況


音楽の分野の状況

・シンセサイザーとシーケンサーの登場によって楽器が弾けない人でも音楽を作れるようになった

・特に初期は安易に作成される曲が増えた

・しかし音楽についての知識や演奏の経験がある人がシンセサイザー、サンプラー、シーケンサーを使いこなすと、素人が機械に頼って作ったものと違いが出る

・シンセサイザー、サンプラー、シーケンサーを使った音楽制作は当たり前になった

・それらが楽器の演奏家の仕事を奪った側面はあるかもしれないが、新たな音楽の仕事を生み出した

・演奏家による楽器の演奏も価値のあるものとして認識され続けている

・音楽を作る側面では、電子機器が出る前もたいてい全くのオリジナルというものはなく過去の音楽を聴いて学んだものがベースにある

・その上で何らかのオリジナリティと気持ちよさを持つ音楽が作れると評価され、それは電子機器を使っても同じ

 

これになぞらえると、画像生成AIは次のようになります。

画像の分野の状況

・画像生成AIの登場によって絵が描けない人でも絵を作れるようになった

・特に初期は安易に作成される絵が増えた

・しかし絵や写真についての知識や絵を描く経験がある人が画像生成AIを使いこなすと、素人がそれらに頼って作ったものと違いが出る

・画像生成AIを使ったビジュアル制作は当たり前になる

・それらが手作業による絵描きやイラストレータの仕事を奪う側面はあるかもしれないが、新たなビジュアルの仕事を生み出す

・手作業による絵やイラストも価値のあるものとして認識され続ける

・絵やイラストを描く側面では、画像生成AIが出る前もたいてい全くのオリジナルというものはなく過去の絵やイラストを見て学んだものがベースにある

・その上で何らかのオリジナリティと魅力を持つ絵やイラストが作れると評価され、それは画像生成AIを使っても同じ

 

比較

電子機器が発達する前は、音楽を生み出すためには作曲にせよ演奏にせよ楽器の演奏が必要で、もともとの素質に加え様々な音楽を聞いたり演奏の練習などの努力によってようやく素晴らしい演奏ができるようになり、良質な音楽をリスナーに届けることができたと思います。

シンセサイザーやサンプラーやシーケンサーが出てきた40年ほど前は「楽器の音色に限定されない音色を作ることができる」「楽器が弾けなくても音楽が作れる」「スタジオを借りなくても音楽が作れる」などのメリットによって新しいユーザーが増えた反面、演奏家の中には嫌悪したり拒否する気持ちがあったと思います。

しかし、今やそれらは音楽制作において当たり前になっています。

一方、「楽器が弾けなくても音楽が作れ」はするのですが、音楽の知識があったり演奏ができる人が使うと結果は違う、ということです。

画像生成AIも似た歴史を辿りそうな気がします。

画像生成AIが出る前は、絵・イラストを生み出すためには描く作業が必要で、もともとの素質に加え様々な絵を見たり描く練習などの努力によってようやく素晴らしい作品ができるようになり、見る人に届けることができたと思います。

画像生成AIの「絵が描けなくても絵・イラストが作れる」などのメリットによって新しいユーザーが増えた反面、画家・イラストレーターの中には嫌悪したり拒否する気持ちがあると思います。

しかし、それらはビジュアル制作において当たり前になっていくと思います。

一方、「絵が描けなくても絵やイラストが描け」はするのですが、画像生成AIで作成した作品の中にも、圧倒的な素晴らしさ、魅力を持つものもたくさんあり、おそらく絵を描ける人が作成しているのだろうと感じます。もし絵を描けない人が画像生成AIによって圧倒的なオリジナリティや魅力をもった作品を作れるなら、それはもう一つの能力だと思います。

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