AI時代のアナベル×ターミネーター『M3GANミーガン』 AIで人間の不完全さが暴走する

AI時代に起きるであろうことをタイムリーに描いた恐ろしくも楽しい映画『M3GANミーガン』

AI人形(少女型アンドロイド)を題材にしたSFサイコ・スリラー映画『M3GANミーガン』を見ました。AI時代に起きるであろうことをタイムリーに示唆的・比喩的に描いた恐ろしくも楽しい映画です。

映画の概要と、AI人形ミーガンの表現と奇妙なダンス、この映画の示唆するリアリティなどの見どころや、感想と考察を書こうと思います。ややストーリーの内容に触れます。

『M3GANミーガン』の概要

ストーリー(あらすじ)
おもちゃメーカーで子供向けAIぬいぐるみを開発する裏で高度なAI人形開発に意欲を持つ女が、事故で両親をなくした姪を引き取るがうまく関係を築けずAI搭載の少女型アンドロイドを作り姪に与えるが、アンドロイドが姪を守るためにする行動が次第に惨劇を引き起こしていく。

機械学習をしたチャットボット(大規模言語モデル)や画像生成プログラムがAIとして話題に上がる昨今ですが、何をもってAIと言えるのか、現状では単なるプログラムではないかという議論もあると思うものの、AIが最近の主要な関心事の一つであることは間違いありません。

今はまだ初歩的なものが実験的に作られているだけですが、そのうちヒト型のものにも組み込まれ、ミーガンのようなAI人形、アンドロイドは当たり前に登場してくるだろうと思います。

ミーガンほどの自立性や運動能力を持つものが登場するのはまだしばらく先だろうと思いますが、AIによって仕事や教育や育児など様々な物事のあり方が変わっていく中で、この映画は示唆的でタイムリーに感じます。

『M3GANミーガン』のプロデューサーと監督

パンフレットによると、『パラノーマル・アクティビティ』シリーズや『インシディアス』シリーズなどのプロデューサー、ジェイソン・ブラムと、『ソウ』シリーズ、『インシディアス』シリーズ、『死霊館』シリーズ、『アナベル』シリーズのプロデューサー、ジェームズ・ワンがプロデューサーとなり、ジェームズ・ワンは脚本のアケラ・クーパーと共に原案も担当しています。ホラー映画のマスター2人が組んだ作品です。

監督は、ニュージーランド出身のジェラルド・ジョンストンです。

『M3GANミーガン』の劇場公開日

2022年12月7日(ロサンゼルス)
2023年1月6日(アメリカ広域)
2023年6月9日(日本)2023年1月27日の予定だったが延期
(ウィキペディアなどより)

『M3GANミーガン』の海外での評価

映画やテレビドラマなどについて批評家と観客の評価とレビューを掲載しているウエブサイトRotten Tomatoesによると、観客の評価は高く、批評家の評価もそれを上回ります。
Rotten Tomatoes
https://www.rottentomatoes.com/

AI人形ミーガンの表現と奇妙なダンス

パンフレットによると、AI人形ミーガンは、俳優、VFX、アニマトロニクス、パペットなど、異なる手法で表現されているようです。

ミーガン役俳優はエイミー・ドナルドですが、メイキングの映像を見るとミーガンのマスクをつけて撮影しています。ダンスもできるエイミーの身体能力とマスクの無表情さの組み合わせがミーガンの表現にうまくつながっていると思います。

ミーガンが踊りながら人を襲う奇妙で特徴的なシーンがメディアで取り上げられているようですが、ミーガンが踊るのは脚本にはかかれておらず、監督ジェラルド・ジョンストンのアイディアで、ムーブメント指導やダンス指導のスタッフと共にシーンを作ったとのことです。エイミーの身体能力がうまく生かされ、ミーガンの奇妙な怖さが表現されていると思います。

AI自体が脅威なのではなく、AIによって人間の不完全さや矛盾があからさまになっていく恐怖

・AI時代のアナベル × ターミネーター
パンフレットによると、本作は「アナベルとターミネーターを融合させた殺人人形の話」というのがアイディアの原点とのことです。「アナベル」はホラー映画シリーズに出てくる呪いの人形、「ターミネーター」は映画『ターミネーター』シリーズに出てくる人類の殲滅を目的とする機械軍の兵士ですが、本作ではAI人形が人間の生活の中に入ることで生まれる脅威を描いており、現代的です。

「テクノロジー依存が深まり続ける現代社会や、テクノロジーが人間による制御をしのぐという潜在的脅威についても描いている」とパンフレットにあるように、『M3GANミーガン』が投げかけている問題は現在リアリティを持って感じられます。

・テクノロジー依存が深まり続ける
様々なテクノロジー依存の一つとして、子供にスマホなどを与えることの是非が話題になることがあります。単にスマホばかりいじっていると勉強する時間が少なくなるということ以前に、育児に対するテクノロジー依存もあります。「スマホ育児」という表現があるように、親があまり子供の相手をしている暇がないために特に小さい子供にスマホを渡した場合、親との関係の欠如による発達への影響の懸念もあるようです。スマホがミーガンに置き換わり、それはこの映画でも描かれています。

一方、学校に行くよりもミーガンに教わる方が早く覚えられるという表現も出てきますが、それは現実世界でも起こり得ます。

今後家事ロボット、育児ロボットは当たり前に出てくると思います。忙しい親が家事だけでなく子育てをロボットにまかせようとする可能性は高く、どのような影響があるのか、何をテクノロジーに任せるのかということも考えさせられます。

・テクノロジーが人間による制御をしのぐ
テクノロジーが暴走して人間の敵になるという単純な仮定だけでなく、この映画では、テクノロジー依存ともつながりますが、人が普段やりそうなことをそれぞれの登場人物が普通にやっているだけで、人間の不完全さや矛盾がある中で最適解を求めたロボットが驚異になっていく様子が面白いです。

人間主体に考えると脅威なのですが、逆に、状況を広く正確に分析して最適解を求め行動したAIに、人間の意識は対応しきれるのか、という問題でもあります。つまり、人間はAIを正しく使いこなせるのかという問いです。

人間社会で争い、ひいては戦争がなくならないのは、人間の持つ「種の保存の本能」がベースにあると思いますが、その点AIは異なります。人間のような種の保存の本能がないAIは、人間がプログラムしない限りあるいは指示しない限り、他と争うことはないのではないかと思います。

驚異になるとすれば、それは人間が悪用する場合と、悪用の意図はなくても人間の争いの道具になる場合です。

本作では、AI人形ミーガンは、なんとしてでもケイディ(姪である少女)を守るよう指示され、そのとおりに実行することで結果的に惨劇が起きます。

フィクションとしていい具合に脚色された映画作品

本作はAI時代に起きるであろうことを描いていますが、映画として、いい具合に脚色・演出されています。

現実世界でもいずれ人形にAIが組み込まれていくとしても、ミーガンほどの自立性や運動能力を持つものが登場するのはまだしばらく先だろうと思いますので、そこはフィクションの範疇です。

ミーガンはケイディを守るよう指示されてケイディにとって脅威となることを排除していこうとしますが、その方法は狂気とバイオレンスを感じます。

最後の方でミーガンが「新ユーザーがいるの 私よ」と言うのが面白いです。おそらくこれが実現する時が単なるプログラムではない真のAIとなるのだろうと思いますが、少なくとも今のところフィクションの範疇ではないかと思います。