『海街diary』に見る日本的な映画演出

『海街diary』に見る日本的な映画演出

日本的な映画演出について書こうと思います。

以前オブジェ制作やメイキング映像制作で関わった『怪獣少女』の演出、ストーリーテリングは、個人的に「日本的」だと感じています。

▶︎『怪獣少女』についてはこちらの投稿をご覧ください。

アメリカ人の知人にDVDを渡し感想を聞いてみました。

その知人は、現在は異なる仕事をしていますが学生の頃に文筆に取り組んだほかアクティングの勉強をしたこともあり、日本語も達者で日本や韓国の映画やドラマもかなり見ている人ですが、やはり『怪獣少女』は日本的演出だと感じたようです。

彼が日本的な演出だと感じていてしかも好きな映画として『海街diary』を勧められ見てみたところ、私もやはり演出が日本的だと感じました。原作のコミックは読んでおらず、映画を見た印象です。

彼自身はこの映画を、パフォーマンスが素晴らしくとても気に入っているものの、「obstacle(障害)」が描かれず西洋的なストーリーテリングの感覚では「何も起きない」ために、日本的なストーリーテリングに馴染みがない人には必ずしもお勧めできないとのことでした。

私はこの「日本的な演出」をイメージとして抱いているだけですが、前述の知人の言葉も引用しつつまとめると概ね次のような特徴があり、『海街diary』にも感じます。

・物語の抑揚が比較的おだやか 又は希薄

・主人公が向き合わなければならない「障害」が大きくない 又はさほど描かれない

・ストーリーを通して主人公の気持ち・意識などが大きく変わらない 又は変わったように描かれない

・主人公の気持ち・意識などが変化したとしても、そのきっかけ・原因が明確ではなかったり、何か特定の事柄がきっかけになるわけではなく、徐々に変化する。結果的に物語の抑揚は希薄で、西洋的なストーリーテリングの感覚では「何も起きない」印象となる。

 

『海街diary』

ストーリー
継母と暮らしていた女子中学生が、父が亡くなったあと父親の一人目の妻との3人の異母姉たちの家に引き取られ、新しい環境に馴染んでいく。

『海街diary』の感想

ドラマを作るためのやや特殊な設定や演出が行われている印象ですが、それぞれの登場人物の抱える問題は誇張されず物語の抑揚は希薄で、日本的な日常としてさりげなく描かれています。

その中で、3姉妹が初めて会った時はよそよそしかった主人公のすずが、彼女達に引き取られ、新しい生活に馴染んでいき、「妹」になっていく様子が表現されていると思います。

主人公と書きましたが、すずに関係しない3姉妹それぞれの視点と様子が描かれている部分も多く、すずも含めた4姉妹が主人公とも言えるかもしれません。

日本的演出、ストーリーテリングのスタイル

登場人物それぞれ何かを抱えており、父親の死後異母姉たちに引き取られた主人公、きちんとしていない人が気になるが自分は妻と別居中の男と交際している長女、まだ安定した交際相手にめぐりあっていない次女、身勝手な母親などが登場します。

そこから生まれる感情が描かれ時に口論したりもしますが、「異母姉に引き取られた主人公が新しい環境に馴染んでいく」のがストーリーの本筋であるならばその周辺の事柄もかなり描かれている印象で、物語として、あるいは表現としての抑揚は希薄で、あたかも普通の日本人の日常をそのまま切り出したような描き方となっています。

映画制作では三幕構成によってダイナミックな展開を作ろうとすることも多いと思いますが、この映画ではエピソードを並べた印象となっており、これは日本映画にしばしば見られるスタイルだと思います。ステレオタイプな見方かもしれませんが日本人は普段あまり感情を表に出さない傾向があり、その日本人の日常を描いていると共に、日本人の役者が不自然にならずに演じられるメリットがあると思います。

▶︎三幕構成についてはこちらの投稿をご覧ください。

ストーリー制作上の設定

一方、ここで描かれる主人公の女子中学生すずの境遇は現実社会でどれだけ実際にあるかわかりませんが、比較的特殊ではないかと思います。前述のようにストーリーをまとめてしまうと、結局どういうことなのかぱっと理解できないかもしれません。

このストーリーの(始まる前の)前提は次のようになります。

3姉妹の父は15年前に別の女と一緒になり家を出て、仙台に行き、その後母親は家から出て北海道に住んでおり、3姉妹はそのまま実家である鎌倉の古くて大きい日本式の家に住んでいる。

父親の再婚相手との間に生まれた娘が主人公。

父親はその再婚相手と死に別れ、山形の温泉旅館の女と再再婚。主人公も連れ子として一緒に暮らしていた。今中学生。

父が亡くなった主人公が、その葬式で3人の異母姉たち(主人公から見て父親の前の妻の娘たち)から、鎌倉に来ないかと言われ、一緒に住むことになる。

 

また、この前提に関連して次のような構造というか設定が作られ、描かれています。

・比較的身勝手な母親
・長女の幸はきちんとしていない相手が気になる性格で母親に反発をしているが、自分は妻と別居中の男と交際している
・次女の佳乃は酒が好きで比較的だらしないある意味「普通」な人物で、一方、安定した交際相手にめぐりあっていない

主人公すずの境遇や3姉妹の状況がストーリーの中でゆるく作用します。

例えば
すずは、父親の一人目の妻の子である3姉妹の長女である幸に、自分の母親について「奥さんがいる人を好きになるなんて、お母さんよくないよね」と言いますが、言われた幸にしてみたら、それは自分のことを言われているようなものです。ストーリー制作上、このセリフを言わせるためにというか同じことをさせるために、幸が不倫をしている設定となっていると感じます。

後述のように日本人の日常会話で用いられるクセをセリフとして表現したり、大きな事件はなく日本的なさりげない描き方をしていますが、逆に、すずたちの境遇や状況はストーリーのために「作られた」設定にも感じます。映画をはじめとするフィクションはすべて「作られて」いるわけですが。

日本的映画演出の所作、ほか

日本的映画演出の「所作」を感じます。


・走り去る電車を見送りホームを走って手を振っているのを、車内から見る
・ちょっとした他愛もないやりとりをして笑い合う

ただしこれらは、日本のロケーションで日本の役者が演じているために日本的と感じるだけで、海外のロケーションでその国の役者が演じれば印象は変わるのかもしれません。

他の映画ではあまり見られない特徴もあります。日本人の日常会話で用いられるクセである「あれ」ということばを多用しています。

例:
佳乃「大したあれじゃないんだけど」
佳乃の彼氏「バイト代入ったらすぐあれするからさ」
母「ネックレス、どこにあれしたかわかんなくなっちゃって」
すず:「チーズとか入れたらもっとあれかも」

日常の会話で適切なことばが瞬時に思いつかない時に使われる「あれ」ですが、セリフとして話しているせいかやや不自然さがあるものの、日本人の日常を描こうとしていることがわかります。

キャラクタードリブン

これらの日本的演出の特徴のため、結果的にキャラクタードリブン寄りになっていると思います。

▶︎プロットドリブン・キャラクタードリブンについてはこちらの投稿をご覧ください

日本人の日常?

日本の社会のありようはだいぶ変わり、もはや典型的な「日本人の日常」などないのではないかと思うほど多様です。

『海街diary』は日本人のさりげない日常を描いているといえると思いますが、本当にそれは日本人の日常なんだろうか、とも感じます。

この映画でやや特殊な設定を前提にしつつ描かれる「日本人の日常」は、一種ファンタジーのようにも見えます。実際ファンタジーを描こうとしたのかもしれません。