書籍「PIXAR 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話」紹介

書籍「PIXAR 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話」
ローレンス・レビー著 井口耕ニ訳

大ヒットを継続してきたアメリカのCGアニメーション会社ピクサーは、そのクリエイティブ面のマネジメント方法が紹介されることが多いのですが、この本は、ピクサーのオーナーであったスティーブ・ジョブズに誘われ赤字体質だったピクサーに最高財務責任者として入社した著者が、八方ふさがりだったピクサーの財務的課題に一つ一つ取り組み、ヒットを連発する企業にしていった様子を紹介しています。

著者が入社した時にはスティーブ・ジョブズとピクサースタッフの関係性は悪かったとのことですが、その間に入って、レンダーマンソフトウエアの特許を侵害している会社からライセンス料を取る契約の締結、スタッフのストックオプションの問題の解決、ディズニーとの契約の見直し、株式公開、ディズニーによるビクサー買収などを取りまとめていきました。

著者はこの様子を、創造性と現実の折り合いをどうつけるのか、その緊張の物語と表現しています。

ピクサーの成功の様子は、アップルを追放されたあとネクスト社を立ち上げるも物事がうまく行っていなかったスティーブ・ジョブズが復活する様子でもあり、著者と様々な問題について話し合ったり友人として付き合う様子からは、カリスマ経営者というよりももう少し普段のスティーブ・ジョブズのひととなりが垣間見えます。ピクサースタッフに疎まれていたスティーブ・ジョブズが、後に試写室で最新版の映像を見たあと意見を求められるような敬意を得るようになるまでのストーリーでもあります。

著者ローレンス・レビー本人の視点で書かれていることを差し引いても、この人なしにピクサーが大成功を収め、スティーブジョブズが返り咲くことはなかったとわかります。

非常に面白いです。以下、本の章ごとにかいつまんで紹介します。

第1部 夢の始まり

●第1章 運命を変えた1本の電話

1994年当時シリコンバレーでEFI(エレクトロニクス・フォー・イメージング)という会社の副会長兼最高財務責任者をしていた著者の元に、スティーブ・ジョブズから、仕事を一緒にできないかという相談の電話がかかってくるところから話が始まります。

その時の著者はスティーブ・ジョブズはもちろん知っていたものの会ったことはなく、会社のことで相談したいことがあると言われ、ネクスト社の立て直しかと思ったらピクサーという会社だと言われ、聞いたこともないと思ったといいます。

スティーブ・ジョブズはシリコンバレー随一の有名人ですが長いことヒットに見放されており、電話のあと著者がピクサーについて調べてみても、スティーブ・ジョブズがハイエンドの画像処理用コンピューターと関連ソフトウエアの会社としてジョージ・ルーカスから購入したけれども成果が上がっていないことがわかり、実際にネクストの本社へ行って話をし、スティーブがネクストにいる間にピクサーで業務を回し、戦略を練り、株式公開まで持っていってくれる人が欲しいと聞いたあとも、これでピクサーに転職してピクサーが大コケしたらキャリアにも評判にも傷がつくと不安があったそうです。                              

その後カリフォルニア州ポイントリッチモンドのピクサーを訪れてピクサーの共同創業者エド・キャットムルから会社の現状を聞き、資金の不足分をスティーブ・ジョブズが毎月個人小切手で補填しており、それまでの投資額が5000万ドル近いことを聞かされ驚いたといいます。スティーブ・ジョブズはアップルから追放されたあとネクスト社で新しいコンビューターを開発しようとして失敗し、ハードウェア会社であったピクサーをルーカスフィルムから買ったもののハードウェア部門は1991年に閉鎖になり、またしても当初のビジョンがこけた状態でした。

●第2章 事業にならないけれど魔法のような才能

しかし著者は制作中の『トイ・ストーリー』の最初の数分を見せてもらい、「想像もできなかったほどクリエイティブで技術的な魔法を体験」し、また、社内を見学させてもらい、ジョン・ラセターとも会社の実情について話し、『トイ・ストーリー』にトム・ハンクスとティム・アレンがウッディとバズの声を担当し、ランディ・ニューマンが音楽を担当することになっていることも聞かされます。

スティーブ・ジョブズ、エド・キャットムル、ジョン・ラセター、そしてピクサーがしていることはすばらしく、スターがかかわってくれる映画を作っている会社という素晴らしい面はあるけれども、事業を軌道にのせ、商業的な成功を収めるようにすることは大変だと思ったとのことです。スティーブからチームに入ってほしいといわれ、どうすべきか迷った著者は、自分のいる会社EFIの創業者で、弁護士としてパートナーだった著者にEFIで働くチャンスをくれた人物に相談し、自分の直感を信じたほうがいいといわれたとのことです。スティーブ・ジョブズのオファーを受けることにしました。

●第3章 ピクサー派、スティーブ派

しかし、そこから著者の苦労が始まります。入社したら皆暖かく迎えてくれたものの距離を置かれていると感じ、スティーブ・ジョブズはオーナーではあるけれど仲間ではないと社内で思われ、彼がもっと近づいたらピクサーの文化が壊されてしまうと心配されており、そのスティーブ・ジョブズが連れてきた人物として距離を置かれていることを知ります。社内のどこに行ってもスティーブに対する憎しみをぶつけられたそうです。

スティーブ・ジョブズについて感じていた不安はあたっていたかもしれない、転職はやめたほうがいいと友人達にも言われていたと振り返る一方、スティーブは10年前からピクサーが毎年垂れ流す何百万ドルもの赤字を穴埋めするのはいいかげんやめたいと言うだけで、どういう会社にしたいのかはっきり語れない状態だったそうです。

著者はまず、様々な部署を見て仕事内容を訪ねて歩き、会議にも参加して会社の状況を理解することから始め、ピクサーの4本の事業の柱、レンダーマンソフトウエア、コマーシャルアニメーション、短編アニメーション、『トイ・ストーリー』というコードネームの長編映画。それぞれの状況と収益性を検討しました。

CGソフトであるレンダーマンはハイエンドのコンピューターアニメーションの業界で使われていましたが、顧客が50社しかなくそれ以上の収益増は見込めないため、この特許を侵害していたマイクロソフトとシリコングラフィックスを告発してライセンス料を取る戦略に出ます。その戦略が成功し、それぞれの企業と契約交渉がまとまり、キャッシュが手に入りました。これでしばらくは資金不足をスティーブ・ジョブズが自分のポケットマネーで補填しなくてよくなりました。

著者とスティーブ・ジョブズとはほぼ毎日、たいていは一日に何度も電話で連絡を取ったそうです。様々な問題に対して激しい議論をし、ピクサーにおける事業や戦略は互いに納得できる結論を出していったとのことです。一方、週末にはスティーブは自分の家から5分ほどの距離の著者の家まで歩いてきて、近所を散歩しながら、ビジネス以外のこと、家族についてなども話したとのことです。

コマーシャルアニメーションの事業は高く評価され広告の賞もとっていましたが、仕事は散発的で予算はいつもありえないほど厳しいため利益が小さく、価格の引き上げも受注量の増大も考えられず、会社の成長戦略としては選択肢にならない状況でした。

短編アニメーションはアカデミー賞の最優秀短編アニメーション賞を受賞した『ティン・トイ』など高く評価されていたものの、お金は一銭も入らないという問題がありました。

●第4章 ディズニーとの契約は悲惨だった

『トイ・ストーリー』を含めた3本のディズニーとの制作契約は9年後まで及び、独占条項によって、契約期間中、ピクサーのアニメーション部門はディズニー専属となり他の仕事はできなず、ディズニーに提示して却下されたアイディアを他社に持っていくこともできないと定められていました。また、制作費はディズニーが負担するかわり、映画の収益の一部がピクサーに支払われる契約でしたが、手数料などを差し引くとピクサー側に入るのは10%にも満たず、過去のディズニーの大ヒット映画並みにヒットしたとしてもわずかな利益しか得られず、それが契約期間中続くことを知ります。

著者は契約内容が明らかになるにつれ、目の前が暗くなっていくような感覚に襲われたといいます。奥さんにも、今くらい状況がわかっていたら転職なんてしなかったと話したそうです。

スティーブ・ジョブズに状況の報告をしましたがなぜそんな契約をしたのかまでは聞けず、著者の推測としては、アップル追放後テクノロジー会社としてピクサーを買ったけれどもその部門は失敗に終わり、ピクサーをあきらめかけていた時にディズニーの話が持ち上がり、脇のあまい契約をしてしまったのではないかということです。

”経緯がどうであっても、現状は変わらない。レンダーマンソフトウェアに長期的な展望はない。コマーシャルアニメーションもお先真っ暗だ。短編アニメーションもだめ。アニメーション映画も。我々の未来も運命も世界有数の資金力と影響力をほこる会社に握られている。さらに、ピクサーとそのオーナー、スティーブの関係は最悪と来ている。これが我々の手札である。”(P71)
という状況でした。

しかし、闇に閉ざされたような最初の2ヶ月で、著者といろいろな話をしたスティーブ・ジョブズが反発したり言い訳に走ったりしたことはなく、そのことで著者はトンネルの向こうに明かりが見えた気がしたと書いています。

●第5章 芸術的なことをコンピューターにやらせる

前進の足がかりを探している頃、社内には『トイ・ストーリー』の完成が遅れるかもしれないという懸念が広がりつつありました。芸術的なことをコンピューターにやらせるのがいかに難事業であるか、著者はだんだんわかってきたと書いています。

一方、ピクサーを買ってから9年間、ほとんどピクサーに顔を出して来なかったスティーブジョブズから、毎週とか2週に一回とか顔を出そうかと思うと伝えられ、一方社内ではスティーブをピクサーに近づけるなとあちこちで言われており、著者はこれまでたくさんのスタートアップにかかわってきましたが、これほど先が見えず、心配ばかりのところは初めてだったとのことです。

そんな折に、著者はローラースケートでレンタルビデオを返しに行く時に転倒し骨折、会社を休み、その間ジョブズ家やピクサーの人々から花やカードがたくさん届き、退院後も知り合って6ヶ月もたっていないのにスティーブが家族を連れて何度も見舞いにきてくれたとのことです。著者曰くそのためかどうかわからないけれども、出社を心待ちにするようになったそうです。

そして復帰後、著者はスティーブの出社の件を、双方に根回しをして円滑に進めました。

●第6章 エンターテイメント企業のビジネスモデル

スティーブ・ジョブズも筆者も当時エンターテイメント事業について素人であり、二人ともいろいろと調べ、学んだことを教えあったとのことです。

当時なかった独立系アニメーション会社として株式公開するタイミングをうかがい、エンターテイメント企業のビジネスモデルを研究する中で、ディズニーとピクサーの類似点に気づき、実写映画の可能性を探るためにディズニースタジオの会長に会ったり社内で意見を聞いたりしたものの、実写映画への参入はメリットがないという結論に達します。

やはりアニメーション1本でいくしか道はなく、映画収益の予測をするためのモデルを求め弁護士に打診し、最初は社内資料なので外には出せないと言われましたが、それは実写用のためアニメーション用をピクサーで作って還元するということで提供を受け、アニメーション映画の財務モデルを完成させました。

実写映画の場合は制作のたびにスタッフを集めて終わったら解散しますが、アニメーションスタジオの場合は全員が従業員のため映画を制作しているか否かに関わらず給料を払う必要があり、人件費で利益が飛んでしまうという問題があります。

株式の公開をせっつくスティーブ・ジョブズと、投資家好みの安定した利益を出すのは難しく株式を公開すればすさまじい圧力がピクサーにのしかかることが予想されるため株式の公開に慎重な筆者の攻防もあったそうですが、アニメーション映画専業のエンターテイメント会社となること以外道はなく、あらゆる検討を行ったとのことです。

●第7章 ピクサーの文化を守る

著者は大企業と取引するスタートアップの弁護士をした経験から、巨大テクノロジー会社が行きすぎた階層秩序と官僚主義によってイノベーションがなくなる様子を見てきて、ピクサーはそうならないようにしなければならないと思ったそうです。

一方、ハリウッドのイメージは、世の中のトレンドを先取りするクリエイティブで魅力的な世界を想像していたのに、現実はハイテク会社よりずっと現状維持に汲々として変化を恐れていて、ハリウッドといえば創造性というくらいなのに、現実はまったく違うことに気づいたとのことです。

ピクサーの文化を守るためにはいろいろな課題を解決しなければなりませんが、中でも大きなものがストックオプションと考えたようです。

ピクサーでは社員がストックオプションを持つことについて、スティーブ・ジョブズがそのうちと言いながら約束を果たさずに来ており、これを苦々しく思っている社員がとても多かったとのことです。しかしピクサーの株はすべてスティーブが所有しており、付与したストックオプションが行使されれば彼の持ち分が下がることになります。これまで金銭的なリスクを一手に引き受けてきたのはスティーブです。株式公開したいということも双方の損得に影響し、著者は板挟みで、ピクサー社員からはスティーブを守っているとたたかれ、スティーブからはピクサー社員の肩を持ちすぎるとたたかれたそうです。

スティーブから、ストックオプションの話は蒸し返すなと言われていましたが、それが少なければキーパーソンに恨みが残り、会社を支える文化が壊れてしまうと考えた筆者はスティーブにしつこく交渉し、ストックオプションを増やす約束を取り付けたそうです。

第2部 熱狂的な成功

●第8章 『トイ・ストーリー』の高すぎる目標

『トイ・ストーリー』公開に向けたカウントダウンに入っていく一方、事業の再編を進め、レンダーマンの営業チームは縮小、コマーシャルアニメーションは撤退しました。

ディズニーのマーケティング手法が時代遅れだとスティーブ・ジョブズがいらいらするくだりがありますが、プレゼンの天才と言われるスティーブらしくて面白いです。スティーブは、自分が『トイ・ストーリー』のマーケティングの窓口になると言って予告編についても電話でディズニーに改善を申し入れたといいます。

一方著者は事業計画の仕上げにとり組んでいましたが、ピクサーが自立するためには、ありえないほどの成功を収めなければならず、それをコンスタントに続けるのは前代未聞でした。ピクサーが自立するために必要な興行収入を達成しているのは、ディズニーでさえ2本だけだったそうです。

アニメーションスタジオとして独り立ちするための、4本の柱を持つ計画が完成しました。

・映画からピクサーが得る取り分をディズニーと結んでいる契約の4倍から5倍に増やす。最低でも収益の半分はもらう必要がある

・株式を公開することで、制作費用をまかない映画スタジオとして自立する資金を調達する

・会社の規模を拡大し、制作本数を大幅に増やす

・ピクサーを世界的ブランドにする

●第9章 いつ株式を公開するか

株式公開をして資金調達をすることは、ピクサーだけでなく、スティーブ・ジョブズにとって大きな意味をもちます。
ピクサーにとっては、映画の制作費用を自前でまかなって利益の取り分を増やすためであると同時に、社員に付与したストックオプションが少なすぎるという不満が社内に充満しており、その不満を解消するには株価をできるだけ高くする必要があることです。スティーブ・ジョブズにとっては、アップルから追放されて10年間さまよっていた状態からの復活を示すものとなることです。

しかし、ピクサーの株式公開について楽観的でなるべく早く公開しようと考えるスティーブ・ジョブズと、法律と経営の長い経験から、株式公開が難しくリスクがあると理解している筆者の攻防があったようです。著者は、「スティーブと仕事をするのはキッツイわぁ」と奥さんに愚痴ったそうです。

●第10章 夢のようなビジョンとリスク

著者が以前勤めていた法律事務所のマネージングパートナーであり、シリコンバレーで伝説的な法律顧問に相談し、ピクサーの株式を公開するにあたって、ピクサーのリスクは投資家に包み隠さす伝えたほうがいいという意見は一致しました。株式を公開するにはその時スティーブだけになっていた取締役を増やす必要がありましたが、10年前アップルの取締役会から全ての職責を解かれてしまったスティーブにとってその話は鬼門でした。ハリウッドに詳しく、信頼でき、取締役になってくれる人を探すのは困難でしたが、有能な人物数人のOKをもらうことができました。

●第11章 投資銀行界の絶対王者

著者は、スティーブの選り好みが激しいと取締役の選任で感じたそうですが、投資銀行に対する好き嫌いは、そのくらいかわいいものだったと思うほど激しかったとのことです。スティーブの意向に沿い、モルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスの両方の投資銀行にコンタクトを取りました。どちらもスティーブが連絡を入れ、スティーブがピクサーのビジョンをプレゼンし、著者が、事業計画を説明したそうです。

●第12章 映画がヒットするかというリスク

両社ともピクサーを見学してもらえたとのことです。スティーブ、エド、筆者の3人で出迎え、スティーブが会社のビジョンを説明し、社内を案内しました。反応が良く、見学会は2回とも大成功でしたが、数日後、ゴールドマン・サックスからは利益を増やせるとはっきりするまで株式公開は待った方がいいと言われ、モルガン・スタンレーからは、映画がヒットするかどうかのリスクがあり、興味ないと伝えられたそうです。

●第13章 「クリエイティブだとしか言いようがありません」

”状況を受け入れ、心を整理するのに2~3日かかった。スティーブは何も言ってこない。”(P160)とのことです。

悔しい思いをした筆者は、何が何でもIPOを大成功させ、断られた2大投資銀行をあっと言わせてやると奮起しました。別の投資銀行ロバートソン・スティーブンスにあたりをつけ、社内を案内しました。後日、金融アナリストを加えて改めて説明をし、先方の幹部からOKが出ました。しかしスティーブは、ロードショーと言われる、会社を投資家に紹介する数週間かかるツアーに、その投資銀行のCEOを参加させてくれと、ありえない要望を著者に伝えてきたそうです。おっかなびっくり先方に尋ねると、OKとのことでした。

●第14章 すばらしいストーリーと新たなテクノロジー

さらに、エンターテイメント業界で名のあるアナリストに太鼓判を押してもらう必要があり、筆者がエンターテイメント業界の勉強のために読み込んだ本の著者も著名なアナリストであることを知り、ダメ元で連絡したところ、協力してくれることになったそうです。

3行めの投資銀行も見つかり、ようやく株式公開の準備を本格化できるようになりました。

●第15章 ディズニー以外、できなかったこと

公開週末の興行成績とIPOの公開価格の2つの数字がピクサーの将来を決めます。

ここでも株価を高くしたいと考えるスティーブと、IPOが破綻しないよう現実的に考える筆者の攻防があったようですが、最終的にはスティーブは納得し、投資家向けのプレゼンテーション資料の全体的な流れを筆者と作ったあとはスティーブがひとりで、文字間隔などあらゆる点にこだわって作ったそうです。

●第16章 おもちゃに命が宿った

トイストーリーのプレミアショーは大成功でした。

●第17章 スティーブ・ジョブズ返り咲き

映画が公開され、興行収入は金曜夜だけで1150万ドルほどになり、週末の興行収入は、予想を遥かに上回る3000万ドルになるとディズニーは予想。大成功です。スティーブジョブズも興奮して電話してきたそうです。

月曜日にはピクサー社内は狂喜乱舞とも言うべき状態でしたが、著者は水曜に迫ったIPOの準備をします。投資銀行から提案された1株の値段をスティーブとビクサーの取締役に承認を取りました。水曜日、1株22ドルで売り出されたピクサー株は終値39ドルとなり、スティーブジョブズはビリオネアとなり、ウォール・ストリート・ジャーナルがスティーブジョブズの返り咲きを伝えたそうです。

トイストーリーは最終的には総額1億9200万ドル弱もの北米興行収益をあげ、1995年最大の大ヒットとなり、これはディズニーの「アラジン」と「ライオン・キング」に次ぐ史上3位の成績となりました。

何年も後筆者が知ったこととして、このIPOに投資銀行ロバートソン・スティーブンスが乗るかどうかは紙一重だったとのことです。スティーブが高すぎる評価をごり押ししていたこと、彼がピクサーとネクスト、2社も経営することを投資家が信頼するかを危ぶみましたが、筆者の信頼によってGOが出たとのことです。

第3部 高く飛びすぎた

●第18章 一発屋にならないために

次の課題は、ヒットを続けながら制作頻度を上げることでした。年に1本など無理で、かと言って2年に1本では経営が成り立たないため、落としどころとして18ヶ月に1本というかとになり、そのためには会社の規模を3倍から4倍にする必要がありました。

また、クリエイティブな側面の決断を誰が下すのか、という問題もあったそうです。クリエイティブな面の失敗は修整にとんでもない費用がかかります。この問題について、エド・キャットムルとスティーブ、筆者がジョン・ラセターと会い、話し合ったそうです。ディズニーでは経営幹部であるジェフリー・カッツェンバーグがクリエイティブ面を握っていることを例に出すスティーブに対し、ジョンは、ピクサーではストーリーチームを信じる必要があるといいます。

クリエイティブな判断をストーリーチームに任せるというのは前代未聞で、他の選択肢も検討されました。

1、社長室が映画制作にかかわる→個人的な意見と専門的な批評はまったくちがい、できるとは思えない

2、クリエイティブ面を担当してもらう幹部を雇う→ディズニーに相談し、何人か検討したが、これぞという人はおらず、アニメーション分野では候補者も見つからなかった

改めてスティーブとエドと著者とで最終的な検討をし、クリエイティブな判断はすべてジョンとそのチームにまかせることになりました。

●第19章 ディズニーとの再交渉はいましかない

事業戦略4本柱のひとつである映画収益の取り分を増やす算段の中で、ピクサーにとっては、いまディズニーと再交渉するのが得なのか、そもそも再交渉できるのか、それとも、8年も待たなければならないかもしれないけれどもしばらく待ってからディズニーなり他のスタジオなりと新しい契約を結ぶのが得なのか、どちらなのかを検討したそうです。

著者とスティーブとふたり、ホワイトボードに、ピクサー側とディズニー側それぞれにとって有利な点を書き出し検討したそうです。

例えば
ディズニー
・契約修整に応じる義務がない
・コンピューターアニメーションにみずから乗り出してもいい
ピクサー
・制作費用をIPOのお金でまかなえる
・『トイ・ストーリー』が成功した
などです。

交渉内容も検討し、以下のポイントを出しました。
・クリエイティブな判断の権限
・有利な公開時期
・収益は正しく折半
・ピクサーブランド

●第20章 ピクサーをブランドにしなければならない

スティーブからディズニーのアイズナーに電話し前向きなリアクションがあり、契約交渉のため弁護士など専門家を集めて準備したそうです。

しかしいつまでたっても何も起こらず、改めて連絡すると前向きなリアクションだが、何も起こらなかったそうです。もう一度同じことが繰り返され、スティーブは爆発したが、著者はそれをいさめ、別の人から探りを入れてもらいました。

ようやく交渉が始まり、経済的な要求は通りそうでしたが、6ヶ月が経過した頃、ピクサーブランドの扱いについて壁にぶち当たったそうです。ディズニーとピクサーのブランドの扱いを対等にするというピクサー側からの要求にアイズナーがかみついてきたとのことです。

スティーブ、エド、ジョン、著者で打ち合わせ、著者は映画の収益の取り分が4倍になる経済的な利点を取る方がいいと考えていたそうですが、スティーブは強行的にブランドについて要求しようと考えていました。それが受け入れられないなら交渉を打ち切ることになります。そしてディズニーに交渉打ち切りを伝えました。筆者はがっくりしてしまったそうです。

●第21章 対等な契約

しかし後日またアイズナーからスティーブに、ピクサー株を買う権利と引き換えに交渉をまとめたいとの連絡が入ります。すぐに交渉に入り、こまごました細部も詰めていったそうです。例えばポイントリッチモンドで地震が起きて映画の完成が遅れたら、それはピクサーの責任になるのか。この契約で制作する映画のためにコンピューターを買い、その費用をディズニーとピクサーで分担した場合、ピクサーは、そのコンピューターをディズニー以外の案件でも使っていいのか。使っていいとするならら、その分の費用をディズニーに支払うべきか、などです。

他にも基本的には起きないような不測の事態も想定して契約書には条項が100も並ぶ複雑な交渉だったとのことです。本書にはいくつもの例が紹介されています。関心のある人は必読です。

費用も収益もロゴの取り扱いもディズニーとピクサーで均等となる契約がまとまり、ニューヨークタイムズ紙が報じたとのことです。

このあとスティーブや著者は、ディズニーストアに通りかかるたび、店内に駆け込むとピクサー映画関連の商品のタグをチェックするようになり、ディズニーとピクサー、両方のロゴが対等に並んでいるのを見て大喜びしたとのことです。

●第22章 社員にスポットライトを

スティーブ・ジョブズは、ピクサーのストーリーと自分のストーリーを絡めて語りたいと考え、大手雑誌の記者に声をかけていき、フォーチュン誌にスティーブの復活とピクサーの戦略についての特集記事が掲載されましたが、ピクサー社内の評価は今ひとつでした。もともとピクサー社内にスティーブに対する疑念や不安がいっぱいあり、今回の記事はスティーブにばかり光が当たる記事になっていたからです。

著者によれば、スティーブ本人は表に出る際に、他人にもスポットライトが当たることを嫌うようです。スティーブのところで仕事をするなら縁の下の力持ちに徹するつもりでなければならないと書いています。

著者は、『バグズ・ライフ』のエンドクレジットに、映画に直接関わっていない財務や人事、資材、購買など管理部門や支援部門で働く人々を乗せるようにスティーブにかけあったそうです。そしてプロデューサーを通じてディズニーに確認したが断られました。ジョンとエドにも相談しましたが、ハリウッドでエンドクレジットは重要で、大事な慣例だと言われたそうです。

しかしエドから感謝のクレジットを追加するアイディアが出され、スティーブがディズニーに申し入れ、OKが出ました。ただしピクサー役員のクレジットはなし、とのことでした。

スティーブもエドも『トイ・ストーリー』に製作総指揮としてクレジットされていますが、『バグズ・ライフ』の感謝クレジットで役員がクレジットされることはないとなると、ピクサー役員で著者のみ名前がスクリーンに乗ることなく終わってしまうことになります。

著者は、”ちくりとくるものがあった、1回だけでもいいから、自分の名前が登場したらどんなにいいだろう。家族は大喜びしてくれるはずだ。でもそうはならない”(P262)と思ったそうですが、受け入れました。そしてこれがピクサー映画の伝統になったのもうれしかったとのことです。

●第23章 ピクサーからアップルへ

1997年2月には、ピクサーがディズニーと新しい契約をしたことだけでなく、アップルコンピュータによるネクストの買収もありました。そして、迷走しているアップルからスティーブに、戻らないかとの打診が来たと著者に相談もあったようです。

著者は以下のように書いています。

”スティーブとピクサーはぎくしゃくした関係が10年ほども続いたわけだが、私が転職してきたころにはなかったものを、いま、スティーブは手にしている。敬意である。”(P267)

”このころ、スティーブに対する恨みつらみを耳にすることが完全になくなっていた。会社を支えきったスティーブは、怖いオーナーではなく、信頼できる保護者だと見られるようになっていたのだ。”(P268)

”こういうピクサーにおける経験により、彼は、その後の展開を左右するほど大きく変わったのだと思う。”(P268)

”ハイテク業界なCEOであるとともに、エンターテイメント業界のCEOでもあるわけで、両方の世界をよく知っていると言える経営者はとても珍しいし、これがなければ、アップル復帰後、音楽とエンターテイメントというややこしい世界に進出することなどはできなかったはずだ。”(P268)

”こうして見ると、ピクサーはスティーブに多大な影響を与えたた言える。”(P269)

スティーブが1997年7月にアップルに復帰した時、スティーブに引き抜かれた著者は、なにかがぽっかりと抜け落ちたような感覚に襲われていた、とのことです。

その後スティーブは2003年にがんと診断され、様々な治療を受けましたが、著者はちょくちょく自宅を訪れてテレビを一緒に見たり、散歩したり話したりしたとのことです。体調のいい時はアップルで開発中の製品を見せてくれたそうです。

”私にとっても彼にとっても、ピクサーで一緒に働いたことに大きな意義があったのは間違いないと思う。スティーブと仕事ができてよかった。”(P271)と書いています。

●第24章 ディズニーにゆだねる

著者は1999年4月をもってピクサーの最高財務責任者を退任し、スティーブから話があり、取締役になりました。このあたりの著者の心境は最後に書かれています。

続く映画はどれも好調でしたが、スローダウンの兆候が少しでもあれば株価は急落すると考え、方法を考えたそうです。ひとつはディズニー社が追求してきたように多角化すること、もう一つは逆にピクサーを買ってもらうことです。

”大ヒットを連発しなければならないという圧力はすさまじいレベルになっており、もう少しではじけるとしか思えない。”と考え、2005年10月、この件をスティーブに相談し、二人でピクサー取締役であるラリー・ソンシニにも相談し、著者と同意見だったとのことです。

この1年半ほど前の2004年前半、ロブ・ムーアとまとめた共同製作契約が終わりに近づいたとき、契約延長の話し合いをスティーブが打ち切っています。「ピクサーに対するアイズナー氏のあしらい方にジョブズ氏が反感をいだいているため、提携でよくある問題がこじれてしまったのかもしれない」とニューヨーク・タイムズ紙は報じたそうです。

ディズニー社内ではそのアイズナーに対する批判の声があがり、ウォルト・ディズニーのおいであるロイ・ディズニーが取締役を辞任し、アイズナーの経営手法と指導者としての資質を批判、結果的にアイズナーは退任を発表、後任を発表したあと2005年10月末にアイズナーがCEOも取締役も突然辞任しました。ちょうどそのころ、ピクサーをディズニーに売ったらどうかと考え始めたとのことです。

スティーブはアイズナーの後任のボブ・アイガーと面識があり、アップルの会議室で面談をしました。ピクサー側はスティーブ、ラリー、エド、著者の4人でした。スティーブは、アイガーを気に入り、ディズニーによるピクサーの買収を含む両社の協力体制についての様々なアイディアが話し合われ、その後、検討は買収に集中したとのことです。

エドとジョンを役員にしつつ、クリエイティブなプロセスに経営幹部が口を出さないというピクサーの運営方法や文化が買収後も保たれる必要があることをスティーブからアイガーに申し入れ、アイガーも同意し、買収が発表されました。

ジョン・ラセターは、ディズニーアニメーションとピクサーアニメーション、両社のチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任するとともに、テーマパークのプリンシパル・クリエイティブ・アドバイザーにも就任。エド・キャットムルは両スタジオの社長を拝命しました。

著者は、”このあとの推移を見れば、これは当代有数と言えるほどの成功を収めた企業買収だったことがわかる。”(P281)と、その根拠と共に書いています。

一方、”ディズニーに買収されればピクサーの取締役会は解散となり、私とピクサーのつながりは消える。”(P282)そのことが、思っていた以上にさびしく感じたとのことです。

第4部 新世界へ

●第25章 企業戦士から哲学者へ

ピクサーが買収されたあと、筆者は、何年も前から東洋系の宗教や哲学を学びたいという情熱があり、それに打ち込むようになったとのことです。

遡って1999年末頃、ピクサーでは策定した戦略計画が順調で事業面や財務面のこまごましたことをきっちりこなすチームも完成しており、これからも最高財務責任者でいる必要はあるのだろうかと考えた、とのことです。

ハーバード出身の企業戦士が哲学か?という気恥ずかしい思いもあったそうですが、様々なイノベーションが生まれ、豊かになっているけれども、ストレスや不安も広がっており、それをどうにかするために、哲学者や思想家の言葉にヒントがあるのではないかと考えるようになったそうです。

そしてサバティカルと呼ばれる長期休暇を取り、自分の興味を深く掘り下げる読書三昧、学習三昧の日々を送ることにしました。スティーブに相談したそうです。彼も禅の教えに傾倒しています。スティーブは、「我々の中からそういうことをするやつが出てきてうれしいよ」と言ったとのことです。

著者は、取締役となるものの、執務室も片付け、ピクサーから離れました。

●第26章 スローダウンするとき

様々な本を読む中で、中道という考え方に引かれたとのことです。筆者によると、我々の暮らしを支えている構造と、肩の力を抜き、つながり豊かで芳醇な人生を生きられるようにしてくれる流れとの調和を求めるのが中道、とのことです。

この哲学をもっと学んでみたいと思い、西洋の研究者やチベットのラマ僧にも会ってみたものの溝を感じ、チベット仏教の高僧に会い、夫婦で話を聞き、気に入ったとのことです。

●第27章 ピクサーの「中道」

色々勉強した後ふと、ピクサーが、芸術的側面と事業的問題の折り合いをつけようとしてきたことこそ中道の考え方そのものだと気づいたそうです。

”効率はたしかに繁栄をもたらしてくれたが、それをどこまでも追い求めると人間性が大きく損なわれるおそれがある。”(p306)

”ピクサーをもがき苦しむ組織から世界中の人々に感動をもたらす一流のスタジオに変えられたことに大きな誇りを感じる。”(p306)と書いています。

●終章 大きな変化

2015年には、講演してくれないかとエドに頼まれ、著者が入社した当時とは変わって立派になったピクサーの新キャンパスに向かう途中、3年半前に亡くなったスティーブ・ジョブズの自宅前で車のスピードを緩め、もう一度そこに彼がいて、こう言ってくれたらどんなにいいだろうと思ったとのことです。「やあ、ローレンス。散歩に行くかい?」

翻訳について

井口耕ニさんという方が翻訳されています。

原著を読んで比較したわけではありませんが、とても読みやすいです。著者の謝辞に、この本執筆にあたって編集者以外にライティングコーチもいたほか、様々な人にチェックをしてもらったことが書かれており、おそらく著者の原著がすでに論理的に整理されわかりやすいのだと思いますが、さらにそれをうまく日本語におきかえていると感じます。

「マジか?」というような自然な表現が使われているほか、例えばスティーブ・ジョブズから著者への問いかけは次のように様々に表現されています

「そういうことかい?」
「ピクサーが持つ技術で、拡大できるものはないんだよな?」
「それでいいんだな?」
「7500万で足りるのかい?」

原著を読んだわけではないため、問いかけの英語表現に違いがあるかどうかわかりませんが、翻訳に当たってニュアンスを盛り込んでいると感じます。「・・かい?」という表現は実際には日本人は普段使わないように思いますが、著者にとってスティーブは雇い主で上司に当たるため、「そういうことですか?」ではやや不自然で、かと言って「・・そういうことか?」では強い口調に感じます。「そういうことかい?」と訳しているのは適切だと思います。

関連
スティーブ・ジョブズが亡くなった時のアップルストアサンフランシスコの様子は、こちらの投稿もご覧ください。